『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.805

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級を獲て本陣にをくな、敵しは〳〵かへしたゝかふといへとも、ほゐに若, 鎗を入、こゝにをいて敗北せし敵もかへしあはせ、さしはけみてうつとい, へとも、猶苦戰してやます、しか〓とも敵多勢な〓は、ほゐに良勝、良重をは, ~め、從士三十餘騎うち死し、敵もまた死傷すなもの多し、旗本乃先陣氏勝, の屬軍小森少右衞門氏則等、八尾乃敵にあたりて勇戰し、首數級を獲たり、, 高虎か人數、左は松原街道より、諸手の旌旗すゝミきたるをみて、其勢を四, 江乃町口まて追討す、ときに木村か旗本より兵をわかちてこれを援ひ横, 東口に旗を立、左備木村主計某を松原乃押へとし、右備平塚五郎兵衞某を, 良勝も、木村か右備西郡の敵にあたり、銕炮をはなち、鎗を入て〓崩し、首數, 將藤堂玄蕃良重大にはやり、たゝ一騎はせ出せしにより、こ〓につゝいて, を出す乃處、先手已にやふれ、むつふのかたよりは井伊家乃備押來り、南は, さして兵をすゝむなのところ、彼所乃敵すてに敗れしときこへしかは、副, み來りしかは、しはらく其軍を收む、ときに木村長門守重成き、若江口に馬, 部にわかちて、先手は井伊乃備にむかはしめ、みつから中軍を領し、若江乃, 西郡にむかはしむ、このとき右備乃將新七郎良勝玉串川をわたり、萱振を, 同良重西, 藤堂良勝, 郡ニ戰フ, 良勝良重, 戰死ス, 元和元年五月六日, 八〇五

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  • 同良重西
  • 藤堂良勝
  • 郡ニ戰フ
  • 良勝良重
  • 戰死ス

  • 元和元年五月六日

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  • 八〇五

注記 (22)

  • 850,633,69,2220級を獲て本陣にをくな、敵しは〳〵かへしたゝかふといへとも、ほゐに若
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