『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.806

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へに軍を收む、このとき藤堂與右衞門高清等をはしめ、萱振にてたゝかひ, すてにして左の先手仁右衞門高刑等、未明に千塚を發して、道明寺乃かた, 殘兵おほく創をかうふりて退きしかは、長曾我部か手勢勝に乘く追かく, 本にあつまり、むかひに銕炮をはれ〓乃ところ、敵ほゐに堤乃下にしりそ, として、手勢をひきゐて八尾乃西にいたよ乃ところ、高刑等已にうち死し、, れは目にあまる多勢な〓は、高刑をよひ桑名彌次兵衞親氏已下、うち死す, にすゝむ乃ところ、敵の變により高虎か下知をうけ、道を轉し事大和川乃, 我部主水某鎗を把て氏勝を〓、氏勝か男小太夫氏紹、父か戰死を見てはし, 多もの凡三十餘人に及へり、中備の隊長高吉き、左乃先手高刑か備乃後援, し味方乃輩はせきたりそ敵をさゝぬ、大坂勢もこと〳〵く長曾我部の旗, 堤にのほり、八尾乃西に屯す多長曾我部か備をやふ象、旗本まて斬ていき、, 〓、高吉たすけきたりて大れたゝかふ、これによりて敵兵しはらく堤乃う, ときに氏勝もこの手をたすけて横鎗をい〓、大に奮ひたゝかふ、敵將長曾, りきたり、主水を討て其首を獲たり、其餘敵おほくうちとなといへとも、か, く、高虎は大和川乃東堤に馬をもかへ、前は八尾、右は若江、左き國府の進退, 等戰死, 戰死, ノ激戰, 藤堂氏勝, 藤堂高刑, 旗本先手, 等來リ援, 藤堂高吉, 八尾附折, ク, 元和元年五月六日, 八〇六

頭注

  • 等戰死
  • 戰死
  • ノ激戰
  • 藤堂氏勝
  • 藤堂高刑
  • 旗本先手
  • 等來リ援
  • 藤堂高吉
  • 八尾附折

  • 元和元年五月六日

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  • 八〇六

注記 (27)

  • 522,665,73,2209へに軍を收む、このとき藤堂與右衞門高清等をはしめ、萱振にてたゝかひ
  • 1814,627,63,2221すてにして左の先手仁右衞門高刑等、未明に千塚を發して、道明寺乃かた
  • 756,644,70,2229殘兵おほく創をかうふりて退きしかは、長曾我部か手勢勝に乘く追かく
  • 289,660,70,2216本にあつまり、むかひに銕炮をはれ〓乃ところ、敵ほゐに堤乃下にしりそ
  • 877,647,67,2236として、手勢をひきゐて八尾乃西にいたよ乃ところ、高刑等已にうち死し、
  • 1113,644,64,2219れは目にあまる多勢な〓は、高刑をよひ桑名彌次兵衞親氏已下、うち死す
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