『大日本史料』 4編 5 建久6年9月~9年12月 p.682

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とおしき, 乃成はて給けん事のきかまほしくて來りたりとのぬへは、時頼入道かく, むめく、う〓くし金なる髮を肩乃まはりくりおしきりつゝ、文覺上人にい, 參る、先高野に參りて、時頼入道か庵室に尋入く、我きしか〳〵のもの也、父, しけに、疾そりおろしぬへかしと、母上も乃給へ共、見奉てき、是ほとう例く, しき人をや〓し奉らん事の悲しさよ、世乃世にてありをは、今き近衞司に, へす、頓て熊野へ參り給て、新宮、那智へつたひ給、濱宮乃王子の御前にて、父, 三位中將身投ぬたる漫々たる奧の方を、はる〳〵と打なかめ給之、そゝ海, 治四年の春のころ、けてしもあるへき事ならねはとて、柿衣袴負なとした, とまこひて、修行に出給にたり、齋藤五、齋藤六も同しやうに出たち、御供に, 末そ知ぬと乃給へるそおそ海しき、是につたても、世をつゝみ給たるそい, 宣ふをきゝて与り、權亮三位中將乃身投ぬしを唯今の事乃やうにおもひ, 〓りおはりまての事、こまかにかたり申けれは、此山ふしとも〓もかをあ, 出そ、あはれやこの山伏、少も三位中將にたかはす似ぬへり、ありしはしめ, てこそあらましかはなとおほすそあまりの事なりたる、十六と申年の文, 六代御前十四五にも成給ふ、されは世のおそあしさ、ツたま, ○中, 略, 熊野ニ詣, 高野山ニ, 登ル, ヅ, 建久九年二月五日, 六八二

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  • ○中

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  • 熊野ニ詣
  • 高野山ニ
  • 登ル

  • 建久九年二月五日

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  • 六八二

注記 (24)

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