『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.807

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を察し、後き京街道及ひ須奈豐浦, か任とし、みたりに旗をうこかさすして下知をつたふ、ときに斥候のもの, たり、高虎す〓はちこれを御幕下に參らす、このとき兩御所すそに豐浦ま, 見て鎗を合せ、終にこれをうちとり、其刀物の具を分捕す、しかれとも誰な, 寶寺平野乃かたに敗走し、盛親もたゝ一騎にて大坂に乃かれかへる、この, はせかへりて、諸手の形勢を〓くるに及ひ、急に軍をすゝめしかは、敵軍久, 猶逃るを追て、敵を斬なこと甚おほし、すてに平野の町を放火して軍を收, 級、使をはせて實檢に備へ、また久寶寺平野にをいて追討せし首二百七級, をまとひあひく武者あり、高虎か母衣乃者磯野平三郎行尚、よき敵なりと, は、日すてに暮るにより、明日これを獻すへきむ手を言上す、この日諸士功, め、その夜八尾乃常光寺に宿陣す、このたゝかひ辰乃上刻にはしまり、申乃, 名おほきか中に、萱振にをいて、澤田平太夫元次衆にさきたちて甲首を獲, 下刻呆終な、今朝八尾萱振西郡にをいてうちとなところの首五百八十一, とき兜登の冑に赤地の錦の陣羽織を着、鶴毛乃馬にのり、諸軍に後れ人衆, 多ことをしらす、乃ち故ありて増田盛次ななことをしれり、こ〓より味方, 乃安危にいたるまてく、をのれ, ○中河内郡, 枚岡村豐浦, ノ戰功, 磯野行尚, 増田盛次, ノ兵敗走, 澤田元次, 高虎手首, 長曾我部, ヲ討取ル, 高虎家臣, 一番首, 數, ス, 元和元年五月六日, 八〇七

割注

  • ○中河内郡
  • 枚岡村豐浦

頭注

  • ノ戰功
  • 磯野行尚
  • 増田盛次
  • ノ兵敗走
  • 澤田元次
  • 高虎手首
  • 長曾我部
  • ヲ討取ル
  • 高虎家臣
  • 一番首

  • 元和元年五月六日

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  • 八〇七

注記 (32)

  • 1909,639,60,993を察し、後き京街道及ひ須奈豐浦
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