『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.790

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中したりと答ふ、諸將是を感す、, 馬印なひきと號す、茨木佐渡守を荒木信濃守, 廿五歳、荒木信濃守十八歳、清秀三十一歳也、此度の功に依て、くれは〓い, ○惟政、義昭ノ命ニ依リ、池田勝正等ト和協スルコト、永祿十一年十月, 五百貫清秀に被宛行、其後諸將清秀に語て云、和田を討取事〓大功也、剩, の勇士六十六人討取、雜兵數不知、此とき和田伊賀守四十二歳、池田勝政, 留、其外諸將進み戰ひ、味方勝利とれる、其軍功無比類と、諸將一同に是を, 將なれは、時分を見合引組可討、左もれくは討死と思ひ定て、札を取て懷, ひきと云は、和田伊賀守馬印にして、二本共ニ寸法同しかりしか、和田か, 味方先陣引色こ見ゆ、此とき荒木信濃守に詞を掛らる、依之信濃守も蹈, 云、和田勇將にして、戰の度毎に旗本をはれれ、先手に進て下知をなす大, 感す、或説こ云、諸將清秀に問て云、和田を可討との積兼て有やと云、清秀, 組討にす、郡兵太夫, 首を山脇源太夫討取之、十河杭之介首は下村市之允討取之、其外和田方, 首を揚けるとき、一本は折てみしかく成、是を其まゝ當家に取傳へて、小, 二十四日ノ條ニ、耶蘇教宣教師るいす・ふろいすヲ庇護スルコト、同十, 元龜二年八月二十八日, 後號攝, 津守、, 七九〇

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