『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.789

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掛にして、暫鑓を入て戰、其後太刀打に成て、清秀自餘の敵に不構、和田を, 目りけ、大勢の中へ蒐入、和田に渡合太刀打す、和田頭とて、世にあくれな, 塚を下し、先手旗本二段にして、郡山の下まて附慕、時に勝政おもふ圖に, 清秀唯今討死す、見物し給へとて、横鑓を入、其時信濃守も守返し、双方相, 勝政是こよつて、備を三段とし、宿所河原まく引入、此時和田是を見て、糠, 太刀打、其まゝ組討こし首を取、爰にをゐて、和田勢敗軍也、その小馬印な, とお丸山孫六和田り後へ廻り、足を薙んとす、和田後へ見向處を、清秀一, と云、長尾助五郎と云者、和田り唐の頭に兩度取付所を、池田監物と云者、, き唐の頭を掛たり、此とき唐の頭太刀に纏ひけれは、誰らある、頭上けよ, 引うけ、貝を以て大返しにす、和田是をみて、馬より下立て掛り來る、池田, 塚の喰へき糠塚なれは、味方の勝利疑ひなし、猶豫有へからすと諫言す、, 足輕亂る時に、清秀、荒木信濃守に言葉を掛て云、人間は百歳まては不生、, 方之内荒木信濃守足輕を掛る、和田鑓をだろへ、一町計掛り來る、池田方, 助五郎り肩の口指物掛て切てをとす、依之和田と助五郎と其間隔る、此, 勇將にして、後詰を頼む大將にあらす、其上和田り備場は、味方の陣所馬, 元龜二年八月二十八日, 元龜二年八月二十八日, 七八九

  • 元龜二年八月二十八日

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  • 七八九

注記 (18)

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  • 418,727,65,2090とお丸山孫六和田り後へ廻り、足を薙んとす、和田後へ見向處を、清秀一
  • 651,720,64,2127と云、長尾助五郎と云者、和田り唐の頭に兩度取付所を、池田監物と云者、
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