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三方原合戰のとき、所々において相たたかひ、敵をうち、其身も創をらう, のち三河國を退き、諸國を經歴すといへども、至るところ正重り勇名を, ぶる、のち二俣城をせめたたふのとき、甲斐の兵新村某をうちとる、天正, ひて引退く、こゝにおいて敵襲ひきたることあたはす、十二月二十二日、, とす、このとき本多忠勝おほせをうきたまはり、殿となりく、一言坂にい, に仕へたてまつり、永祿六年、一向專修の徒に與し、のち赦免ありて、もと, 先手となりて鎗をまじへ、大に敵をるぶりく、首級を得たり、三年九月二, みせめたまふのとき、正重すゝむて掛川の西の宿にいたり、先かきしく, 三年五月二十一日、長篠合戰のとた奮戰し、敵をるぶりて首級を得たり、, たる、武田勢これを追うたんとす、正重其伍をうしなはすいとみたゝら, 十五日、武田信玄、遠江國に出張す、御味方の先陣すでに軍をしりぞけむ, 鎗をあはせ、甲士をうちとる、元龜元年六月二十八日、姉川合戰のときも、, 守泰能、遠江國掛川城にありしとき、東照宮入山瀬に砦をらまへく、かこ, のごとく勤仕す、十一年十二月十五日、今川氏眞をよひ其臣朝比奈備中, 正重本多佐渡守俊正が四男、母は某氏、天文十四年、三河國に生る、東照宮, 元和三年七月三日, 徳川家ヲ, 正重ノ履, 國ヲ流浪, 去リテ諸, 融, ス, 元和三年七月三日, 三八一
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- 徳川家ヲ
- 正重ノ履
- 國ヲ流浪
- 去リテ諸
- 融
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- 元和三年七月三日
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- 三八一
注記 (24)
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