Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
して了榮に屬す、是より先に志摩郡中通ハ既に了榮に從ひぬ、鎭氏を討て後、志摩郡四百, 年配分あらん事尤覺束なし、楢崎氏系圖に、元龜三年正月廿八日進士兵衞被討、楢崎將監, す、松隈伊賀守等も加勢して討死し城落る由あり、此城當年落しと云説信しかたし、好士, 餘町を領するのみならす、西ハ草野畑と爭ひ、東ハ立花・筑紫・宗像と戰ひ、南ハ龍造寺の, る所悉く取べきにあらずといへ共、一一書して考に備、見ル人是正すへし、中にも原田家, 岳落去ハ天正七年なり、本條に詳也、今草場村に、楢崎・松隈并に笠泉庵が墓と云傳へて, 取んとす、臼杵進士兵衞討れしかば、殘る者共悉く了榮に降參す、小金丸民部も人質を出, より志摩郡を全く領知せしハ天正七年の後なり、原田諸士に給地を附與せし書も其前に, 領にも働きけりと見ゆ、是等の勢ハ再生松合戰の後の事也、是ハ前後を通して其大意を, 光方籠城して堅く防き、三月に至まて城を持といへ共、小勢力盡て同月十八日楢崎自殺, 眞跡未見證とすべからす、中通の地ハさもあらばあれ、好士岳の隨近小田・櫻井の地を此, 出たるハ未見、但此合戰に、國友に櫻井の地を原田より賜ふ状とて家記舊本に録せり、其, 年月を誌せる石あれど、皆後人の追て刻めるにて據に不足、且彼三人同日他の故有て死, たるも計へからす、兎角落城ハ後なり、藩地志に、了榮か勢彌強大に成、志摩郡を悉く打, 了榮ノ勢力, 元龜三年正月二十八日, 二二〇
頭注
- 了榮ノ勢力
柱
- 元龜三年正月二十八日
ノンブル
- 二二〇
注記 (17)
- 521,668,65,2155して了榮に屬す、是より先に志摩郡中通ハ既に了榮に從ひぬ、鎭氏を討て後、志摩郡四百
- 1317,656,72,2163年配分あらん事尤覺束なし、楢崎氏系圖に、元龜三年正月廿八日進士兵衞被討、楢崎將監
- 1089,658,72,2158す、松隈伊賀守等も加勢して討死し城落る由あり、此城當年落しと云説信しかたし、好士
- 400,662,71,2156餘町を領するのみならす、西ハ草野畑と爭ひ、東ハ立花・筑紫・宗像と戰ひ、南ハ龍造寺の
- 1774,657,70,2157る所悉く取べきにあらずといへ共、一一書して考に備、見ル人是正すへし、中にも原田家
- 976,656,69,2159岳落去ハ天正七年なり、本條に詳也、今草場村に、楢崎・松隈并に笠泉庵が墓と云傳へて
- 635,662,66,2161取んとす、臼杵進士兵衞討れしかば、殘る者共悉く了榮に降參す、小金丸民部も人質を出
- 1659,659,72,2155より志摩郡を全く領知せしハ天正七年の後なり、原田諸士に給地を附與せし書も其前に
- 286,668,69,2153領にも働きけりと見ゆ、是等の勢ハ再生松合戰の後の事也、是ハ前後を通して其大意を
- 1200,654,72,2163光方籠城して堅く防き、三月に至まて城を持といへ共、小勢力盡て同月十八日楢崎自殺
- 1431,655,72,2161眞跡未見證とすべからす、中通の地ハさもあらばあれ、好士岳の隨近小田・櫻井の地を此
- 1544,656,70,2162出たるハ未見、但此合戰に、國友に櫻井の地を原田より賜ふ状とて家記舊本に録せり、其
- 860,657,70,2164年月を誌せる石あれど、皆後人の追て刻めるにて據に不足、且彼三人同日他の故有て死
- 750,663,67,2160たるも計へからす、兎角落城ハ後なり、藩地志に、了榮か勢彌強大に成、志摩郡を悉く打
- 523,290,43,205了榮ノ勢力
- 1884,714,46,417元龜三年正月二十八日
- 1902,2344,39,120二二〇







