『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.40

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小路宮内卿師平を居置る、三世高基の男従三位家綱の時に至つて、天下武家一統の代と, をうちて、國中平均をなさしむへし、援兵およひ〓使の將を給われといふ、依て越後方よ, り、謙信出馬あるへしとなり、飛州は又、信長姉小路を語らひ、内々手遣ひの聞へあり、, 抑姉小路といふは、むかし南都の管領にして、後村上天皇より、飛州の國司として、姉, 極左衞門高詮、穴間・期上を經て、追手にむかひ、小笠原民部少輔持長は、越中を廻つて、, なれり、國司自立して將命を更ざるゆへ、應永十八年辛卯秋、大樹義持公上裁を蒙り、京, 仁・文明の頃、佐々木大膳大夫將清侍所司として、近江・飛騨・隱岐・出雲四州を領し、, 言・昌家和睦を乞、直に小島に在城なり、是ゟ國司の号なし、京極恩補國となれり、應, 其身は江地の館に居住し、家臣三木大和守直頼飛州大野郡松倉に今高山城廓を搆ひ、益, 田郡萩原下呂に砦を築、美濃の内をも掠めとりて、武威を逞しうす、爰におゐて前の國, 小島口へ押よせ、武衞の陳代仙福・朝倉已下、越前大野郡より乱入し、姉小路の屋形荒, 城郡小島口柳の御所を責落す、家綱は朝倉貞景か家人井上藤兵衞か為にうたれ、子息師, 粕・直江・齋藤等に書翰を呈す、趣意は、飛州永録中より信玄の支配となりて、三分二高, 原の江間常陸介が才許にしたがふ、白屋のみしたがわず、今度常陸介輝盛・同左馬允盛時, 元龜三年八月七日, 四〇

  • 元龜三年八月七日

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  • 四〇

注記 (16)

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