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旗頭とさだめ、大野・荒木・益田三郡の豪族を責おひやらす事隙なきゆへ、三木・姉小, 縣を押領して、各威を震ふ、姉小路師言逝去ありて、舍弟昌家相繼、其息男基綱従三位, を大將として、三千五百余人筑摩郡深志より嶮難の隘路を攀、大峠を打越し、行程廿里、, 燒はらひ、則當所に陳をうつす、時又、高原附屬の砦二ケ所まて、飯富が為に責落さる、, へ共、切所なれば、たやすく責入がたく、夫ゟ軍北の方へ押よせは、賀川をわたつて高原, 江間常陸介ふせきかねて降參し、人質を出し置けれは、信玄大きに歡ひ、江間を飛州の, 原へ告て援兵をこひ、二句余平戦す、甲州勢力を盡して、終に打勝、坊舍一宇ものこらす, 權中納言に昇進し、相繼て濟俊二代ともに參議たり、永正十年酉癸五月廿九日、濟俊四, 城を援んと義し、鳥越嶽にのぼり、袈裟山千光寺に陳営を搆へんと、僧徒同心せず、高, 飛州平均に著馬、三木大和守自綱, 十九才にして病死す、長男秀綱幼少によつて、弟高綱に家督を讓り、高綱また宰相に任, す、去ル永録二年己未の夏、武田信玄信州に在馬し、飛騨の國境に砦を築、長坂左衞門尉, に木曽衆を持添、能守らしむ、速々手遣ひなさしむ、同七年甲子七月、飯富三郎兵衞昌景, 司の威勢ます〳〵おとろへ、江間常陸介・白屋・内島・土内・鍋山・廣瀬のことき、郡, 居城を襲わんと欲し、半途まで出張すとい, 直頼子右衞, 門良頼の男、, 自綱ニ援ヲ, 信玄ノ兵千, メ入ル, ノ衆徒三木, 光寺ヲ燒拂, 飛騨千光寺, 玄飛騨ニ攻, 永祿七年信, 自綱姉小路, 求ム, 元龜三年八月七日, 四一
割注
- 直頼子右衞
- 門良頼の男、
頭注
- 自綱ニ援ヲ
- 信玄ノ兵千
- メ入ル
- ノ衆徒三木
- 光寺ヲ燒拂
- 飛騨千光寺
- 玄飛騨ニ攻
- 永祿七年信
- 自綱姉小路
- 求ム
柱
- 元龜三年八月七日
ノンブル
- 四一
注記 (29)
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