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を脇にくり、すて篝をたき、本篝をもちひなさるれとも、敵かゝる事なし、一の御さき, 五干の人數をもつて仕る山縣手へ、頸十三ならて討とらさるに、二の手の勝頼公手不足, 軍なり、此合戰は、先手・二の手、合十四くみ計にて、乃信玄公御勝利なれは、定而信, の備に、六十三頸をとる、元龜三年壬申極月廿二日、遠州味方か原の御一戰是なり、法, 長たはかりて、今きれのあたりに罷有、二の合戰仕へしと被仰、脇備を先へくり、後備, 性院信玄公五十二歳の御時、如件、, 信玄公御旗本・脇備・後備少も働す、見物のことくなれは、終に家康をくれをとり、敗, 荷駄を捨てかゝるを見て、左衞門尉くつれ候故、酒井か衆計鑓をあはせす、くつれたり、, て、頸をとらるゝなり、如此に候と有儀をもつて、穴山殿・四郎殿・典厩・逍遙軒、家老衆に, 弟掃部馬足輕をかけ候へは、敵少たまらす迯ちる、三騎の侍に歩者四・五人蹈ころはされ, は馬場美濃・山縣三郎兵衞・内藤修理・小山田兵衞尉・小幡・眞田を始、濱松の城御攻, つて、小荷駄奉行の甘利衆横鑓と仰らるゝにより、甘利衆米倉丹後、, 一、廿三日の朝、濱松より味方か原へ出る足輕衆、くなくりと云所へ家康人數を少いたす、其, 日穴山殿押番にあたりなされ候故、穴山殿衆ありすみ大學・ほさか常陸, ・同, 小, 保坂常陸介ニ作ル, ○參河後風士記、, ヲ米倉重繼トナス, ○四戰紀聞、米倉丹後, 元龜三年十二月二十二日, 一一三
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- 保坂常陸介ニ作ル
- ○參河後風士記、
- ヲ米倉重繼トナス
- ○四戰紀聞、米倉丹後
柱
- 元龜三年十二月二十二日
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- 一一三
注記 (22)
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