『大日本史料』 10編 13 天正元年正月 p.40

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付カ大軍を縱横蒐囘す、時久・相久・忠虎父子三騎自刃を手に觸て指揮し、片馬にして, 未たなし、其折しも敵軍境を越て攻入と騷動せしかは、僧禮取營むニ及す、目の當り見, 乘り、逃る敵を追討して、松山の城戸口ニ只一息ニぞ追込ける、肝屬が宗徒の一族肝付, ニ當り、四維に連り、八方に亂て、兩陣更ニ〓もなし、肝屬力軍勢ハ、是迄ハ寄たれ共、, ふべき、一戰ニ切負て、子を捨、主ヲ顧す、我先ニと亂れ落ルモ無暫成、味方は彌勝一, 挑戰ふ、大隅・日向の境成住吉の原ト云ルハ、目ニ餘る曠野なり、一所ニ合てハ、萬卒, て敵ニ逢ふて討るゝもの貳百五拾餘人、山川ニて死する者百八拾餘也、味方ニも河野主, 未た軍の用意もせす、敵の寄へき事も思ハス、陣屋ニ並居て四度計モなく酒盛して居た, る所ニ、時久不意ニ寄ラレケレバ、取太刀にて打て向ひ、暫ハ支しか共、なしかは以叶, 三河入道竹友も時久の家□渡邊源助ニ逢ふて打れぬ、其外肝付修理亮・同左兵衞尉を始, 行年の賀を祝ふ日なれバ、諸宗束帶ニ遲滯せしニや、曹洞宗の門徒の外、見へ來る僧侶, の山紅深きに似たり、此日は時久僧禮とて、諸宗の僧侶殘りなく年首の賀祝ヲなす日也、, 得來し洞家の僧侶ニすら品々取具するに〓もなく、有しなからの茶わんニ酒計りヲ酌て, 税・田原大藏信秀等討れたる、冬枯したる野邊の草の頃刻ニ色□なして、紅葉散しく秋, 島津時久歳, 首ノ賀ヲ受, ク, 天正元年正月六日, 四〇

頭注

  • 島津時久歳
  • 首ノ賀ヲ受

  • 天正元年正月六日

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  • 四〇

注記 (19)

  • 1719,724,67,2140付カ大軍を縱横蒐囘す、時久・相久・忠虎父子三騎自刃を手に觸て指揮し、片馬にして
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