『大日本史料』 10編 18 天正元年9月~同年11月 p.130

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に戰ふ、此夜平十郎苦戰して、首級數多を得る、されとも己れも亦重傷を負て、三倉, より細川を改て堀と名つく、其家豪富邑]の右族たり、且大樹寺は徳川氏の菩提寺なり、, 純并に家康に仕ふ、天正元年九月廿日、甲州方の大將秋山伯耆、山家三方の處々を侵, れ、永く堀氏墓田とす、今の成道山大樹寺中竹用院と云へるは是なり、此頃大樹寺の, 山一ケ瀬まて退き死す、家康其家を續へき子なきを憐み、墳墓の地數町諸役免除せら, 略す、此時徳川の將酒井左衞門尉忠次、作手城主奧平九八郎信昌と謀を合セ、鳳來〓, 天正元癸酉年九月二十日夜、於鳳來寺表討死、, 庄官となる、駿河の今川に屬し、元龜の初平右衞門吉之始て家康に〓す、家康の命に, ひを共にせり、能面・大鼓等を賜りしは、此頃の事なり、子の平十郎吉重・小三郎重, 堀氏も同しく檀越たるをもて、其縁故により家康時々其家に來り、猿樂・香・茶の遊, 堀氏は其先細川成之に出つ、成之三州守護職たり、足利の衰しより、子孫州の堀村に, 住僧進譽より、家康え佛像・數珠を參らせしか、佛像は家康常に陣中に〓帶し、數珠, は堀氏に賜りたり、〓, 天正元年九月二十一日, ○中, 略, 堀氏ノ家系, 天正元年九月二十一日, 一三〇

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  • 堀氏ノ家系

  • 天正元年九月二十一日

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  • 一三〇

注記 (19)

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