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へたてまつる, をいて、はしめて東照宮に拜〓し、これより仰によつて御傍ちかくつか, 先登にすゝみ、康政、一番に城中に乘いり、力戰してつゐに城を抜、このと, 源左衞門廣質、中島右衞門作某等か軍功ありしことを言上せしかは、彼, 仰をかうふり、軍を出さるゝ毎に、多くは御旗本の先鋒たり、九年、中根善, 照、伊奈源左衞門廣質中島右衞門作某等三人を附屬せらる、この年、今川, る、遠江國堀川城を攻させたまふのとき、仰によりて、松平信一とゝもに, き、康政も二ところ疵をかうふる、東照宮、このことをきこしめされ、康政, 右衞門長重を附屬せらる、十一年三月、氏眞か臣尾藤彦四郎某等か守れ, 鳥居元忠等とゝもに、麾下の御先手をうけたまはり、のち、御吉例のむね, 等を御前にめされ、御感状をたまひ、釆地をあてをこなはる、十二年、同國, 氏眞の將小原肥前守鎭實か籠れる吉田城を攻たまふのとき、本多忠勝、, 敵と鎗をあはす、のち、御諱の字をたまひ、康政とめさる、七年、伊藤彌惣正, か邸宅に渡御ありて、たつねさせたまひ、懇の仰をかうぬる、ときに伊奈, 六年、一向の門徒蜂起のとき、上野の合戰に初陣し、, 康政母は道家氏か女、天文十七年、三河國上野に生る、永祿三年、大樹寺に, 慶長十一年五月十四日, 三歳, 時に十, 旗本ノ先, 遠江堀川, 初陣ノ功, 城攻ニオ, ヲ與フ, ケル軍功, 家康偏諱, 向一揆, 康政ノ事, 鋒, 蹟, 一オケル, 名, 慶長十一年五月十四日, 八三
割注
- 三歳
- 時に十
頭注
- 旗本ノ先
- 遠江堀川
- 初陣ノ功
- 城攻ニオ
- ヲ與フ
- ケル軍功
- 家康偏諱
- 向一揆
- 康政ノ事
- 鋒
- 蹟
- 一オケル
- 名
柱
- 慶長十一年五月十四日
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- 八三
注記 (34)
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