『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.661

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かの地にららすへし、我死すおののちに至りて、しお人あらは、かならす, おなし、又この城田中と大井河を隔て、つふに田中乃兵と輕卒をもつて, おは、小山を攻ん事尤よたはからことなり、其故か長篠乃一戰に、武田家, 相戰ひ、或は麥をかり、或ぬ苗をぬみ、騷動るむことなし、藪田、遠目乃兵も, の兵あるへからにと、東照宮この言をしかりとしたまひ、兵をすゝめて、, また時々出て戰ふ、康親つふに誓ひけるは、駿河を取得すんは、かはふを, 敗軍し、諸將多くほろひたれは、たとへ勝頼たきくいさむといふとも、援, るといへとも、つゐに破られす、且高天神の通路たるにより、挑戰やむと, になふりしためしを引て、周の字をもつて、周防守となつけた万ひ、康親, し、ふかはくぬしはらく士卒をやすめたまふべしといふ、康親言上しけ, おのとこた、酒井忠次諫たてまつりけなは、兵を野外に曝事日すてに久, 小山をせめたまふ事八日の間に、康親手つから敵數人をうちとり、家臣, もまた高名あり、康親牧野城を守お事七年の間、勝頼しは〳〵これを攻, の地を加増せらお、このとき東照宮小山城を攻たまふへきよし、衆議あ, か勇略を賞したまふとなり、これにより、遠江國樽木、河尻にて、七百貫文, 天正十一年六月十七日, 六六一

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  • 六六一

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