『大日本史料』 10編 20 天正元年雑載~同2年正月 p.530

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さて大村ともさかい和談と成てより、鎭信法印の御代に成けれは、大村丹後守の御い, はと甲を取て、陣屋に入にけり、やゝしはしの物語り、此時こその御縁談也、松浦, 和談あれは、松浦成程〳〵能きおもひ付也、我とても隣國なれはなつかしく、然ら, 殘りさん〳〵に組敷れ、城内外ニ打捨られ、鳥甲よりの加勢引入れ、鐵炮持て右之, 「弓ワ鑓鐵炮放間もなきように、雙方共に押寄たり、兩掛合無二無三切立、大村方者加, 勢は悉く討死、三人に成けれは、城内ゟ純忠殘り四人引れて、法印陣所を見けれは、, 法印勢も都合十八騎に打なされ、雙方共ヱあきれる、然ル處に、純忠甲取て法印に, 也、, 三人先立、辻田口法印責寄たり、法印其躰を見、早々すかさす弓鑓持てそ掛りける、, 法印だ同月十八日に御退出、武雄方も其音聞て、最早治りけり、少しは前後此事, かた押并て組立たり、すかさす山城志津三郎を組、めてさし拔て首差落、其音聞て, 鳥甲より加勢を五拾騎被差越處に、志津三郎殘り三人も、刀を投捨て、, もふと、純忠りせんの御むすめにてましますを、よめこに取て、御子源三郎信さまの, 〔大曲記〕, 天正二年正月十八日, 埋專公ノ妾腹、生, 年二十三歳卒、, (大村純忠), 和ヲ乞フ, 純忠鎭信二, 五三〇

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  • 埋專公ノ妾腹、生
  • 年二十三歳卒、
  • (大村純忠)

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注記 (21)

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