『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.126

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寳珠寺に葬る、妻は鈴木彌右衞門某が女、, 著御あり、ごのとき重元等船を催し、大濱の宅にむかへたてまつり、御膳, ふ、文祿二年正月二十七日、大濱にをいて死す、年九十、法名道全、三河國の, を獻じ、供奉の人々にも飮食をすすむ、しばらく休ませたまふのあひだ、, として、三河國大濱の郷に砦を築きたまひ、重元をしてそれをまもらし, 田右府ことあるの時、東照宮和泉國堺より伊賀伊勢を經て、白子の濱に, 岡崎より御むかひとして、多勢參著せしかば、やがて岡崎にいらせたま, めらる、永祿四年九月三日、東照宮より御判物をたまふ、天正十年六月、織, 此砌信長公御勸メニ依而、御上洛被遊、泉州堺を〓御遊覽被遊候、此節信長, 中、織田信秀しばしば兵を出して岡崎城をうかゞふにより、船手の要害, 天正十年五月、權現樣江州安土え御越被遊候節も、四郎次郎清延御供仕候、, 直勝十年六月、織田右府ことあるにより、和泉國堺より御歸國のとき、從, 公ニも御上洛被成候付、右堺悉ク御遊覽相濟候段、信長公え被仰遣候御使, 〔茶屋由緒書〕一先祖, ひたてまつり、, 茶屋四郎次郎, 清延, 下略, ○上, 中島清延, 家康清延, 永井直勝, 重元家康, ヲ信長二, 使セシム, ヲ迎フ, 天正十年六月四日, 一二六

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  • 下略
  • ○上

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  • 中島清延
  • 家康清延
  • 永井直勝
  • 重元家康
  • ヲ信長二
  • 使セシム
  • ヲ迎フ

  • 天正十年六月四日

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  • 一二六

注記 (28)

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