『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.131

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忠節を賞せられて、光廣には光忠の御刀を賜ひ、新加の地たまはるべきの, 散し、事故なく伊勢國白子の濱に著御あり、これより三河國大濱におもむ, て還御のとき、また光廣、兄多羅尾久八郎光雅と倶に、士卒千餘人をよび甲, 御判物を下さる、乃ち豐臣大閤、光廣父子か東照宮に志を通ぜし事を憤り、, 寺村より草地の渡を越て、宇治田原にむかはせたまふ、時に長谷川藤五郎, 迎へ奉りしかば、田原の居城に入て、姑く休らはせず」乃ひ、のち光俊か居城, 賀の郷士百餘人を率ゐて、御先にすゝみ嚮導したてまつる、此時鹿伏兎村, の所々にをいて、郷民等一揆を催し、路を遮るといへども、光廣等これを追, のせたまはんとて御船にめさる、こゝにをひて、光廣兄弟に暇をたまひ、其, 於て光廣まづ人をはせて、實父光俊にこれをつげ、みづから人馬を出して, 近江國信樂の小川村にいたらせたまふの時も、供奉に列し、光俊父子も途, 秀一を御使として、路次を警固すべき旨を、父長政がもとに仰下さる、是に, 中に出てむかへたてまつり、其夜は小川村に御宿陣あり、四日、伊賀路を〓, のとお、右府事あるのよし告來りしかは、台駕を旋させた乃はんとて、尊圓, れて、其女を妻とし、右府につかふ、天正十年六月、東照宮、和泉國堺を御遊覽, 多羅尾光, 加太村ノ, 山口長政, 雅, 郷民一揆, 天正十年六月四日, 一三一

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  • 多羅尾光
  • 加太村ノ
  • 山口長政
  • 郷民一揆

  • 天正十年六月四日

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  • 一三一

注記 (22)

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