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門、花房彌左衞門等も、次の間にあり、, 束して岡山の城を出て、其夜は沼村に宿陣ある、秀吉の先手の惣軍釣の渡, 前の古道より釣の渡りを越して、先陣より次第に押通し、秀吉は旗本の人, 町口まて、迎に出られしを、懇の挨拶ありて、岡山の城へ入く、しはし八郎に, り上京して、明智を退治して、本意を達しなは八郎殿を我聟にすへしと、約, より差出所の河邊川より東を、直に八郎殿へ進らす也、知行あるへし、是よ, 數計を殘し、矢坂をこし、岡山へ趣かれぬ、宇喜多八郎ら明石飛騨さし添て、, 秀吉挨拶, 未刻、秀吉陣はらひし、辛川村に至り、爰にて人數を分け、惣軍をは半田山の, 前ノ働故、中國ヲ伐取ル事報謝シガタシ、八郎ヲ我聟ニ仕ルベキ由御契約, に、此度備中表の勝利は、偏に宇喜多家の武功によれり、是によつて毛利家, 對面有リ、赤石飛騨守抱出ツ、則秀吉公御懷キ、岡山城へ入リ、今度ノ軍功備, 有テ、姫路へ御歸陣也、程ナク明智ヲ滅シ給フ程ニ、其跡悦ビニ家中上洛ス, 〔備前軍記〕五備中高松城攻并同國所々城攻の事, 秀吉對面有、家臣浮田七郎兵衞、浮田左京、明石飛騨、戸川助七郎、長船又右衞, 六月六日、早朝に先備前勢岡山へ歸陣ある、次に同日, 此時戸川平右衞門は、關東の, 草津に入湯して留守なり, ○上略、秀吉、輝元ト和, スルコトニカヽル、, 習ニセン, 多秀家ヲ, ヅ退ク, ト約ス, 備前勢先, 秀吉宇喜, 河邊川東, ノ地ヲ秀, 家ニ與フ, 天正十年六月六日, 二九五
割注
- 此時戸川平右衞門は、關東の
- 草津に入湯して留守なり
- ○上略、秀吉、輝元ト和
- スルコトニカヽル、
頭注
- 習ニセン
- 多秀家ヲ
- ヅ退ク
- ト約ス
- 備前勢先
- 秀吉宇喜
- 河邊川東
- ノ地ヲ秀
- 家ニ與フ
柱
- 天正十年六月六日
ノンブル
- 二九五
注記 (31)
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