『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.262

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置たまふ, れは、城をわたし可申條、命を御たすけ被下候樣にと、彌八郎申上しかと, めし處に、主計頭は大手の門脇に鐵炮を備へ、乘いらんとせしを、城中よ, つと城中へ引しを、惣勢附入にして、敵千三百五十打取り、かちとたをあ, も、秀吉公御承引まく、唯さめほすへき旨被仰出しかは、諸軍勢彌おしつ, 方より柵をつけ、竹把をもつて付まはし、弓鐵炮をすきま〓くいさせけ, も來くつめよさ、二十六人一度にうちたをしきこは、敵も是にいたみ、さ, り門を開て出る、主計頭もとより武道に自由を得たる事〓れは、すきま, け、彌八郎か首御實〓あつ〓、城の掃除等被仰付、稻葉左京進を城代に入, 郎か居城を取まかせ給ふ、信雄卿より二千の人數を爲加勢入おかる、四, 信雄方加々井彌八郎り籠る加々井城を攻らるへしと也、城へは信雄ゟ, 追討、或は生捕り、猶兵を進めて、直ニ竹か鼻の城をせむ、〓, も加勢有、然れ共寄手大軍なる故防難く、同五日、城を捨て落行んとさし, 一五月三日、秀吉公美濃國富田の寺内に本陳を居へ, 〔細川家記〕, 〔清正記〕〇肥後一秀吉公富田の寺内に御陳をすゑられ、かゝ乃井彌八, 異事ナシ, ○清正行状, 忠興一, ○下, 略, 七, テ加賀野, 秀吉稻葉, ノ奮戰, 貞通ヲシ, 秀吉城ノ, 加藤清正, 四方ニ柵, ヲ付ス, 井ヲ守ラ, シム, 天正十二年五月七日, 二六二

割注

  • 異事ナシ
  • ○清正行状
  • 忠興一
  • ○下

頭注

  • テ加賀野
  • 秀吉稻葉
  • ノ奮戰
  • 貞通ヲシ
  • 秀吉城ノ
  • 加藤清正
  • 四方ニ柵
  • ヲ付ス
  • 井ヲ守ラ
  • シム

  • 天正十二年五月七日

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  • 二六二

注記 (34)

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  • 1333,705,60,2146れは、城をわたし可申條、命を御たすけ被下候樣にと、彌八郎申上しかと
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