『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.342

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被仰付、稻葉左京進を城代に入置たまふ、, 仰なり、, 武道に自由を得たる事なれは、すきまもなくつめよせ、二十六人一度にう, に銕炮を備へ、乘いらんとせしを、城中より門を開て出る、主計頭、もとより, 主計被召出、昨日のしつはらひ、よくも仕たり、兩人共に御執立可被成との, ほすへき旨被仰出しかは、諸軍勢、彌おしにめし處に、主計頭き、大手の門脇, 千三百五十打取り、かちときをあけ、彌八郎か首御實檢あつて、城の掃除等, 給ふ、信雄卿より、二千の人數を爲加勢入おかる、四方より柵をつけ、竹樞を, ちたをしけれは、敵も是にいたみ、さつと城中へ引しを、惣勢附入にして、敵, を御たすけ被下候樣にと、彌八郎申上しかとも、秀吉公御承引なく、唯せめ, 秀吉公、富田の寺内に御陣をすゑられ、加々乃井彌八郎か居城を取まかせ, もつて付まはし、弓銕炮をすきまなくいさせけれは、城をりたし可申條、命, 廿五日、長門國赤間關ニ御著陣有、同國とを枝の城普請被仰付、同廿八日、被, 秀吉公、島津修理大夫義久爲討伐、天正十五年三月朔日、都を打出たまひ、同, 成御移、彼城に十日御逗留あつて、方々の人質、國中の御仕置等被成、御先勢, 從軍, 島津征伐, 慶長十六年六月二十四日, 三四二

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  • 從軍
  • 島津征伐

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三四二

注記 (19)

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