『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.623

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の邊におゐて、しば〳〵相戰, 少輔を討とる、天正十年六月、山崎合戰に、利三進て五井川の邊にいたる、, に佐渡守と、百四五十人を率、光秀が勝龍寺に入を見て、すなはちはせお, 江の刀をさつく、其後稻葉一鐵について、織田信長にしたかひ、處々にお, 城を出で前後にあり、得長壽院, 時に光秀が山の手の旗下敗北す、かるがゆへに、利三その子甚平、ならび, 智日向守光秀につかふ、光秀丹波を撃平とき、利三小山の城主小山民部, ゐて、しは〳〵つとめたゝかふ、信長これを感して恩賜あり、そののち明, もむく、こゝにおひて、光秀はなはたこれを感す、つゐに光秀にしたがひ, して死す、法名湖翁窓西、, 家傳云、齋藤別當實盛之流也、或云、河邊左府魚名五世之孫時長之流也、又, 云、利仁將軍之流也云々、, その勇もけともいちじるし、すなはちはせて白河にいたる、四十九歳に, 齋藏氏、藤原姓、家紋, 〔柳營婦女傳系〕八, 俗に三十三, 間と號す, 大味公御乳母法名〓祥院, 〓寛政種修諸家譜、京都眞如堂の東陽院に葬る、, 曩麥、, 春日局之傳, 右京進某つ, 石〓、, 妻は齋藤山城守正利入道道三か女、後妻は稻葉, 女トアリ, 天正十年六月十七日, 六二三

割注

  • 俗に三十三
  • 間と號す
  • 大味公御乳母法名〓祥院
  • 〓寛政種修諸家譜、京都眞如堂の東陽院に葬る、
  • 曩麥、
  • 春日局之傳
  • 右京進某つ
  • 石〓、
  • 妻は齋藤山城守正利入道道三か女、後妻は稻葉
  • 女トアリ

  • 天正十年六月十七日

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  • 六二三

注記 (27)

  • 1086,1983,65,830の邊におゐて、しば〳〵相戰
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  • 1670,696,73,2121智日向守光秀につかふ、光秀丹波を撃平とき、利三小山の城主小山民部
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