『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.594

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

あらためふ、龍谷寺といふ、妻は明智日向守光秀か女, し、大和國井戸乃城にあり、のち彼城を去て、織田右府に屬せしとき、治秀も, るるのとき、またこれにしたかひし、かの地におもむき、定次配流乃ゝちは、, に與をすといたとも、治秀所縁あるをもつて、太閤の旨にしたかはさりし, て、本國に歸りて、奈良に住す、後筒井定次に屬し、定次伊賀國に封をうつさ, これにしたがひ③、山城國槇島乃城にうつる、乃ち明智光秀、右府を〓せし, 再ひ本國にかへり、柳生谷に寓居す、慶長十五年九月、弟新右衞門直弘姪左, かは、豐臣太閤兵を起して光秀を誅す、このときにあたり、父兄と共に光秀, かは、太閤怒て槇島城をさむ、已にして和議とゝ乃ひ、父とともに城を遁れ, 馬助良弘とゝもにめされて、台徳院殿につかへ〓てまけり、十七年、御書院, 番に列し、廩米三百俵をた)乃ひ、後大坂兩度乃役に供奉し、寛永十年、番を辭, に葬る、乃ちこの寺を下谷にうつされしとき、彼地に改葬す、ときに寺號を, し、小普請となり、十二年十一月四日死す、年七十一、法名西月、湯島乃眞昌寺, ○良弘、光秀ニ與スルコト、本月十一日ノ條ニ、山崎ニ秀吉ノ軍ト戰フ, 井戸治秀, はじめ父良弘、筒井順慶に屬, 〔寛政重修諸家譜〕, 右衞門, 才藏、忠, 十〓, 千九, 秀忠ニ仕, ト所縁ア, リテ秀吉, 治秀光秀, ハ光秀ノ, 治秀ノ妻, ニ屬セズ, 井戸治秀, 女, 天正十年六月十四日, 五九四

割注

  • 右衞門
  • 才藏、忠
  • 十〓
  • 千九

頭注

  • 秀忠ニ仕
  • ト所縁ア
  • リテ秀吉
  • 治秀光秀
  • ハ光秀ノ
  • 治秀ノ妻
  • ニ屬セズ
  • 井戸治秀

  • 天正十年六月十四日

ノンブル

  • 五九四

注記 (32)

  • 315,617,58,1566あらためふ、龍谷寺といふ、妻は明智日向守光秀か女
  • 1705,612,61,2194し、大和國井戸乃城にあり、のち彼城を去て、織田右府に屬せしとき、治秀も
  • 1010,614,58,2211るるのとき、またこれにしたかひし、かの地におもむき、定次配流乃ゝちは、
  • 1357,621,60,2187に與をすといたとも、治秀所縁あるをもつて、太閤の旨にしたかはさりし
  • 1123,614,59,2197て、本國に歸りて、奈良に住す、後筒井定次に屬し、定次伊賀國に封をうつさ
  • 1588,609,61,2198これにしたがひ③、山城國槇島乃城にうつる、乃ち明智光秀、右府を〓せし
  • 893,608,63,2203再ひ本國にかへり、柳生谷に寓居す、慶長十五年九月、弟新右衞門直弘姪左
  • 1472,614,63,2194かは、豐臣太閤兵を起して光秀を誅す、このときにあたり、父兄と共に光秀
  • 1243,615,62,2193かは、太閤怒て槇島城をさむ、已にして和議とゝ乃ひ、父とともに城を遁れ
  • 781,609,61,2205馬助良弘とゝもにめされて、台徳院殿につかへ〓てまけり、十七年、御書院
  • 666,610,60,2200番に列し、廩米三百俵をた)乃ひ、後大坂兩度乃役に供奉し、寛永十年、番を辭
  • 435,617,58,2196に葬る、乃ちこの寺を下谷にうつされしとき、彼地に改葬す、ときに寺號を
  • 548,614,58,2197し、小普請となり、十二年十一月四日死す、年七十一、法名西月、湯島乃眞昌寺
  • 200,764,62,2038○良弘、光秀ニ與スルコト、本月十一日ノ條ニ、山崎ニ秀吉ノ軍ト戰フ
  • 1824,1404,55,266井戸治秀
  • 1827,1965,58,840はじめ父良弘、筒井順慶に屬
  • 1796,573,105,578〔寛政重修諸家譜〕
  • 1811,1693,38,187右衞門
  • 1856,1691,39,184才藏、忠
  • 1809,1196,33,103十〓
  • 1857,1193,35,106千九
  • 911,257,43,169秀忠ニ仕
  • 1331,262,41,159ト所縁ア
  • 1289,260,40,164リテ秀吉
  • 1376,258,41,166治秀光秀
  • 329,272,43,153ハ光秀ノ
  • 376,259,41,172治秀ノ妻
  • 1246,265,40,157ニ屬セズ
  • 1830,256,41,171井戸治秀
  • 288,262,39,36
  • 1939,689,41,380天正十年六月十四日
  • 1945,2393,40,123五九四

類似アイテム