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けて遁れ去、暹慶これより還俗して、山岡八郎左衞門景友と稱し、右府に, す、景友これを聞て、膳所勢多に行て、浦々の船を取て、光秀をしてわたる, む、暹慶、伊賀、甲賀の士とゝもに防戰すといへとも、城兵勢ひつき、城をあ, 事をえさらしむ、故に光秀坂本に逗留して、すみやかに安土に入事をえ, 道阿彌、曾てより恩惠をかうふる事深きにより、無二の御味方となり、金, 邸に舍らせたまふ、是時、石田三成等か逆徒、襲ひたてまつらんとはかる, つかふ、十年六月、光秀右府を弑し、京師を出て、近江國安土に赴かんと欲, す、のち豐臣太閤につかへ、剃髮して道阿彌と號し、所々の役にしたかひ, 田右府を討んと欲す、暹慶義昭の命をうけて、磯谷、渡邊等とともに石山, 常に側を離れす、恩遇をかうふる事渥し、慶長四年三月、東照宮、加賀大納, 言利家を問せたまはんとて、大坂にいたらせたまひ、藤堂佐渡守高虎か, 堅田に要害を構ふ、右府、柴田勝家、明智光秀等をつかはし、石山をせめし, 森法印、織田有樂等とゝもに、高虎か邸に伺候す、そのゝち伏見におはし, ますのあひた、大坂の五奉行異心をいたき、世上靜ならす、道阿彌、御旨を, うけたまはりて諸將に通し、御味方に屬す、五年、上杉景勝御征伐として、, 慶長八年十二月二十日, 刺髮シテ, ニ仕フ, 道阿彌ト, 景友秀吉, 景友信長, 道阿彌家, 康ニ屬ス, ニ仕フ, 號ス, 慶長八年十二月二十日, 七六六
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- 刺髮シテ
- ニ仕フ
- 道阿彌ト
- 景友秀吉
- 景友信長
- 道阿彌家
- 康ニ屬ス
- 號ス
柱
- 慶長八年十二月二十日
ノンブル
- 七六六
注記 (27)
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