『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.114

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一行實は景玄, 自休、彼地乃龍護寺に葬る、, 御感斜ならす、いよ〳〵忠節をほくし、木曾美濃等乃士と謀を合せ、岩村, の城を攻へきむ手嚴命をかうぬる、十五日、關原乃役に三成敗亡せしか, は、具直も岩村の城に籠ることあたはすして、伊勢國淺間におもむく、こ, 八月五日、美濃國惠那、土岐二郡のうちにをいて、釆地六千五百三十石餘, 乃御朱印を下され、十九年五月二十日、明知にをいて死す、年七十四、法名, 級を得たり、このとき東照宮、三成御征伐のしめ、尾張國まて御發向あり、, 十郎康國にしたかひて信濃國小諸城を守る、十六年の冬、東照宮のめし, れによりて利景岩村の城を守る、後この功により、本領明知をたまふ、其, 利景熱田にをいそ、うよところ乃首二級をもつて實〓に備よところ, に應して駿河國にいたるのとき、甲駿の境平澤峠にをいて、大雪乃をめ, のち伏見にをいそ、從五位下民部少輔に敍任し、奏者の事をにとむ、八年, 十二年、長久手の役をはるのゝち、眞田昌幸か兵を押へむかため、松平源, か男、母は某氏、景玄死してのち利景に養はシ、天正, に凍死す、法名善昌, 慶長十九年五月二十日, ○利景, ノ兄、, 兄、, 本領安堵, 一行, 慶長十九年五月二十日, 一一四

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  • ○利景
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  • 本領安堵
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  • 慶長十九年五月二十日

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  • 一一四

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