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二十一日, 六十四、法名暹景、京師東山知恩院の信重院に葬る、, 五位下主計頭に敍任す、文禄四年、秀次事あるのゝち、豐臣太閤に勤仕し、, 年、男新太郎景本、道阿彌か養子となり、其遺跡を繼といへとも、幼稚たる, より、豐臣秀次につかへ、小性をつとめ、三千石を知行し、十九年十一月、從, 慶長五年十月、東照宮に拜〓し、これより御家人に列して、駿府に候す、八, により、景以仰によりて、叔父道阿彌か家跡を相續し、甲賀組をあつかり、, をよひ其地にをいて居宅をたまふ, 景以實は山岡美作守景隆か七男、母は水原河内守重久か女、天正十六年, か宅に渡御あり、このとき吉光の御短刀を拜賜す、十二月二十日死す、年, 景本, 是年, 廿二日、天晴、大寒ニ入、地震巳刻ニ大也、, 道阿彌死するのゝち、景本猶幼稚, 舊知三千石は收めらる, にして、其職にたへす、よりて實父景以、代りて道阿彌か家跡を繼、, 京都地震、, 〔時慶卿記〕, 八年道阿彌, 十二月廿一日、天晴、丑刻ニ地震大動, 〔時慶卿記〕〓十二月廿一日、天晴、丑刻ニ地震大動、, ○上文、十月三日ノ條, ニ見エタリ、故二略フ, ○慶長, 井寺に寄附す, ○下, まふ、これを三, 八年, 今、道阿彌, 癸, 卯, 町といふ, 略, 十, 山岡景以, 山岡景本, 慶長八年十二月二十一日, 七六九
割注
- ○上文、十月三日ノ條
- ニ見エタリ、故二略フ
- ○慶長
- 井寺に寄附す
- ○下
- まふ、これを三
- 八年
- 今、道阿彌
- 癸
- 卯
- 町といふ
- 略
- 十
頭注
- 山岡景以
- 山岡景本
柱
- 慶長八年十二月二十一日
ノンブル
- 七六九
注記 (38)
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