『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.767

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こふて城をさる、同國神戸の城主羽柴下總守雄利、龜山の城主岡本下野, 中守某等これを守る、道阿彌、急に兵を進めて奮ひ討しかは、行廣等和を, 御著陣ありしに、三成等か叛逆の注進しきりなりしかは、諸將をめされ, 守宗憲、城をすてゝ遁る、道阿彌兩城を取て、番兵をいれ、近江國水口城を, 利の告ありしにより、道阿彌、伊勢國を發し、關原に赴くの處、軍すてに終, しと諭し、其身は台施にしたかひたてまつる、すてにして、下野國小山に, あらは、妻子郎從、及び舊好の一族を率ゐて、伏見城に籠り、忠功を勵むべ, 僉議ありて、御馬を西にかへさる、道阿彌仰により、先たちて伊勢國に赴, をして援けしめらる、桑名の城は、氏家内膳正行廣、同志摩守行繼、寺西備, を請、御許容ありて、九鬼長門守守隆、池田備中守長幸、寺澤志摩守正成等, り、大鳥居の邊にをいて、長束正家か關原の戰場をのかれ來るに遇、道阿, き、福島掃部頭高明か兵にくはゝり、長島城を守る、九月、關原の合戰御勝, 彌、討取ところの首百餘級を御陣にたてまつり、伊勢國桑名城を攻ん事, 彌兵を進めてこれと奮戰す、正家わつかにまぬかれて水口城に入、道阿, 關東に御進發あり、道阿彌、弟景光にいふやう、もし畿内の士兵を起す事, 〓長八年十二月二十日, ニ道阿彌, 關ケ原役, 長島城ヲ, 守ル, 慶長八年十二月二十日, 七六七

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  • ニ道阿彌
  • 關ケ原役
  • 長島城ヲ
  • 守ル

  • 慶長八年十二月二十日

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  • 七六七

注記 (22)

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