『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.253

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城國綴喜郡のうちにをいて、釆地五百石をたまひ、御書を下さる、のち御, 死す、年七十八、法名道標、彼地の眞如堂に葬る、妻は齋藤伊豆守某か女、, 彌わ共に伏見に登營し、其郷〓應配膳等の故實を言上す、七年十月二日、山, 襲ふ、時に親長をよひ男親滿、盛親か家臣等と相計り、五十餘騎を率ゐて、, 本多上野介正純より奉書をもて、山岡道阿彌に通するにより、親長、道阿, しは〳〵一揆等と戰ひ、敵數多を討とり、終に城を落し、魁たる者の首數, 伽に候し、京都將軍家法式をよひ騎射歩射且連歌等の故實を、御尋によ, 城に據てこれを拒む、重好は雪溪寺に陣をとるの處、一揆等却てこれを, 級を大坂に獻し、重好をして其城を請とらしむ、のち大坂にをいて、はし, 首級を得たり、のち父とゝもに大坂にをいて、はしめて東照宮にまみえ, めて東照宮に拜〓す、其のち、勅使伏見城に至るのとき、出仕すへきむね, つて言上す、その古實の書今猶家に傳ふ、十五年五月八日、京師にをいて, 親滿母は伊豆守某か女、慶長五年父とゝもに、土佐國の一揆と戰て、多く, たてまつり、のち遺跡を繼、, して、土佐國に赴き、浦戸の城を請とらしむるのとき、國人等蜂起し、この, 慶長十五年五月八日, 親滿, 慶長十五年五月八日, 二五三

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