『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.445

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

本鎗と稱す、しかれとも、御軍令をまたすして戰ひを接へし事を咎めら, を攻落し、軍功を勵す、のち、遠江國濱松にをいて、めされて東照宮にまみ, より、中山道より御進發ありて、眞田昌幸かこもれる信濃國上田城を攻, たまふのとき、信吉刈田の事を奉行し、城にちかつくときに、昌幸も馬を, つり、下野國宇都宮にいたる、すてにして、石田三戌謀叛のきこえあるに, 出してちかつき來る、信吉をよひ中山勘解由照守、小野次郎右衞門忠明, 人、相ともに奮戰して鎗を合せ、敵を城中に追いる、世にこれを上田の七, 釆地四百石をたまふ、慶長五年、上杉景勝御征伐のときしたかひたてま, へたてまつり、台徳院殿に奉仕し、上總國望陀長柄兩郡のうちにをいて、, り、そのゝちも、河田豐前守長親、椎名小四郎某かこもれる越中國今泉城, 辻左次右衞門久吉、鎭目半次郎惟明、戸田半平光正、朝倉藤十郎宣政等七, は神保安藝守氏張か女、織田右府につかへ、兄次郎右衞門信利とゝもに, 諱の字をあたへられ、信吉と稱す、淺井備前守長政と合戰のとき軍功あ, 信吉今の呈譜に、はしめ信吉、のち利信に作る、齋藤伯耆守利基か二男、母, 信正, -, 久右, 衞門、, 上田城攻, 奉行ス, 信利ノ弟, 田ノ事ヲ, 本鎗, 上田ノ七, ノトキ刈, 信吉ノ履, 歴, 慶長十五年八月四日, 四四五

割注

  • 久右
  • 衞門、

頭注

  • 上田城攻
  • 奉行ス
  • 信利ノ弟
  • 田ノ事ヲ
  • 本鎗
  • 上田ノ七
  • ノトキ刈
  • 信吉ノ履

  • 慶長十五年八月四日

ノンブル

  • 四四五

注記 (29)

  • 262,733,61,2144本鎗と稱す、しかれとも、御軍令をまたすして戰ひを接へし事を咎めら
  • 1307,726,61,2147を攻落し、軍功を勵す、のち、遠江國濱松にをいて、めされて東照宮にまみ
  • 841,737,59,2141より、中山道より御進發ありて、眞田昌幸かこもれる信濃國上田城を攻
  • 729,739,56,2143たまふのとき、信吉刈田の事を奉行し、城にちかつくときに、昌幸も馬を
  • 960,735,59,2141つり、下野國宇都宮にいたる、すてにして、石田三戌謀叛のきこえあるに
  • 609,730,59,2160出してちかつき來る、信吉をよひ中山勘解由照守、小野次郎右衞門忠明
  • 378,732,60,2149人、相ともに奮戰して鎗を合せ、敵を城中に追いる、世にこれを上田の七
  • 1075,726,61,2154釆地四百石をたまふ、慶長五年、上杉景勝御征伐のときしたかひたてま
  • 1192,739,58,2147へたてまつり、台徳院殿に奉仕し、上總國望陀長柄兩郡のうちにをいて、
  • 1423,724,61,2150り、そのゝちも、河田豐前守長親、椎名小四郎某かこもれる越中國今泉城
  • 493,730,61,2150辻左次右衞門久吉、鎭目半次郎惟明、戸田半平光正、朝倉藤十郎宣政等七
  • 1657,737,63,2132は神保安藝守氏張か女、織田右府につかへ、兄次郎右衞門信利とゝもに
  • 1541,726,60,2146諱の字をあたへられ、信吉と稱す、淺井備前守長政と合戰のとき軍功あ
  • 1775,653,59,2218信吉今の呈譜に、はしめ信吉、のち利信に作る、齋藤伯耆守利基か二男、母
  • 1896,651,54,128信正
  • 1911,609,71,25-
  • 1917,807,47,120久右
  • 1880,804,39,122衞門、
  • 782,291,42,166上田城攻
  • 651,289,38,119奉行ス
  • 1821,283,40,171信利ノ弟
  • 697,289,41,163田ノ事ヲ
  • 376,291,41,82本鎗
  • 420,292,38,166上田ノ七
  • 743,295,37,164ノトキ刈
  • 1777,283,41,173信吉ノ履
  • 1732,281,40,40
  • 163,735,45,382慶長十五年八月四日
  • 162,2465,43,125四四五

類似アイテム