『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.576

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天正八年八月十八日信長判, 輝兵庫にて秀吉にあひ、逆徒追討のことを相之かり契約しけるは、秀吉, の心底を常にいひふくむ、それ虎は一毛をおしみて其身をうしなふ、, の養子秀次を信輝り聟とし、信輝が次男輝政を秀吉の養子となすべし, 名は末代なり、よろしく池田を以と明鏡とすべし、其功を報ぜん爲に、, 水の流をくむものなり、信長嫡子信忠、次男信孝、三男信雄にも、此池水, 弓取ふ名をおしみ、家をおしみて、其いのちをつろんず、身は一代なり、, とて、山崎にたゝかふ、町口ぬ高山右近、中川瀬兵衞清秀、川邊は勝入なり、, 天正十年六月二日、明智日向守光秀、信長を〓せしにより、秀吉、明智をう, たんため、備中の陣をさしをき、上洛のため、兵庫に著津したまふ、時に信, とちきりて、秀吉、信輝ともに剃髮し、先信長のとふらひ合戰いたすべし, かすべし、此等之趣感状とすべし、, 攝州一國の内諸所おほく池田父子三人に宛行者也、向後其所望にま, 池田紀伊守殿, 清秀先山にのぼりて、明智が先手松田とたゝかつて勝利を得る時、明智, 天正十二年四月九日, 入ニ約ス, セント勝, ヲ養子ニ, 秀吉照政, 山崎合戰, 天正十二年四月九日, 五七六

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  • 入ニ約ス
  • セント勝
  • ヲ養子ニ
  • 秀吉照政
  • 山崎合戰

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  • 五七六

注記 (23)

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