『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.14

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入をかる、, 首を三方にすへ、與十郎か首をへたにすへよと仰けり、五日の朝、堤を切候, 無相違、應其儀、起請文を取かはし、人質を可進となり、秀吉、信長公之御事を, て、昨日二日之朝、惟任かために御切腹にて候、急御上著有て、日向守を被討, 聞召、かた〳〵可相濟と思はれけれとも、明五日之朝可及返事とて、其日は, 平可然之旨、長谷川宗仁より密に申來りしかは、秀吉働せる事不淺、然共さ, らぬ躰にもてなし、四日の朝、御馬しるし計持せ陣廻し給ふ、つまは百騎計, り給ひけれは、輝元も對陣堅固に見えたり、則毛利内安國寺を呼よせ、分國, へは、水瀧なつて落行聲千雷の〓し、かくて城を受取、杉原七郎左衞門尉を, めしつれられ見廻給ふか、此事を聞れしより、一しつめしつめ堤をうち廻, 御事哉、輝元少も疎意存間敷候、御諚之趣可申聞とて罷歸ぬ、輝元承、分國於, 如在有間敷之條、降參を請給へ、長久可有御和睦との事也、安國寺承り、尤忝, 六月三日之子之刻、京都より飛脚到來し、信長公、信忠卿、二條本能寺にし, 便者を歸されにけり、五日の朝、小早川、吉川より乃使者來りぬ、爰に至て秀, 信長公御父子之義注進之事, 土, 午, ヲ守ラシ, 訃報達ス, 刻信長ノ, ヲシテ城, 三日子ノ, 四日惠瓊, トノ説, ヲ巡視ス, ヲ招キ和, 秀吉陣營, ヲ計ラシ, 秀吉家次, 五日秀吉, 信長ノ訃, 天正十年六月四日, 一四

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  • ヲ守ラシ
  • 訃報達ス
  • 刻信長ノ
  • ヲシテ城
  • 三日子ノ
  • 四日惠瓊
  • トノ説
  • ヲ巡視ス
  • ヲ招キ和
  • 秀吉陣營
  • ヲ計ラシ
  • 秀吉家次
  • 五日秀吉
  • 信長ノ訃

  • 天正十年六月四日

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  • 一四

注記 (33)

  • 1561,624,53,282入をかる、
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