『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.374

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り先、秀吉高松の城を攻破られけれは、毛利輝元、備中、備後、伯耆を捧ケ, 和睦せんと請ふ、折節、長谷川宗仁より、信長御父子〓逆に逢給ふ事を, 告來しかは、速に惟任を追伐有らんか爲、毛利と和平して攝州ニ歸り、, 賞を賜り、豐臣氏を下し賜るとかやと云々、, 投て御舟に取りつき、藤孝父子共に逆徒に與し申サさる旨を相述、兩, 惟任か徒也と有けるに、物馴たる康之なれは、少も騷かす、太刀を後ニ, 播磨の賀古川を渡り給ふ時、松井康之來れり、秀吉大ニ怒りて、汝等ら, 君の御書を御舟に投入けれは、秀吉大に御感有て、世鎭りて後、康之に, 等人數も引取候と被申へしと有る處に、順慶家老松倉市九郎, 君、忠興君書を以て志を同し、亡君の仇を復せん事をはかり給ふ、是よ, 順慶、さあらは、越中守殿へ傳言いたすへし、今度の大變言語に絶候、秀, 吉、信長の弔合戰に備中を引れたりと承れは、程なく上著たるへし、我, 何かは知らす順慶にさゝやきけれは、引返して和州に歸陣しけるか、, 求政し、夫より丹波路を越、丹後ニ歸れり、丹羽長秀ら攝州にあり、幽齋, 重政、兼而光秀方へ使者の樣二もてなし遣し置けるか、京より歸りて、, 天正十年六月九日, 後守, 後に豐, ノ陣ニ至, 順慶大和, 康之秀吉, ニ歸ル, 松倉重信, レ, 三七四

割注

  • 後守
  • 後に豐

頭注

  • ノ陣ニ至
  • 順慶大和
  • 康之秀吉
  • ニ歸ル
  • 松倉重信

ノンブル

  • 三七四

注記 (25)

  • 999,796,68,2059り先、秀吉高松の城を攻破られけれは、毛利輝元、備中、備後、伯耆を捧ケ
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