『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.280

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高等、秀家に告て、まつ手はしめに此城を攻落し然るへしと申ける、時に秀久進み出, て、此城は我去々年攻殘せし城なれは、他の隊を交へす、手勢を以て攻取らんと、達て, れは、總軍次第を正して攻むへき事勿論なれとも、秀久の所望も亦理はり有、されは秀, をさし添、城主高松左馬助、手勢合せて二百餘兵にて楯籠る、軍監蜂須賀家政・黒田孝, 内に乘入たり、〓軍これを見て、我おとらしと攻寄〳〵、稻麻竹葦の如くひし〳〵と取, り圍みたれは、城兵も矢玉を飛してこゝを破られしと防けれ共、押つめ〳〵片はしより, 久を先陣とし、次第に攻られ然るへしとて、則秀久を先鋒と定めらる、爰に於て秀久士, 攻入り、城將高松はしめ唐人彈正・片山志摩守ともに城兵二百餘人殘らす討取り、城は, 卒をして高松山より松木を伐り出させ、城のから堀に投入れ〳〵、これを足しろとして, 懇望いたせしかは、軍監其意を得られ、黒田孝高申されけるは、今度は征伐の手始めな, 近つき、塀に付て飛越へ〳〵、當るを幸ひと切たて衝たて、二の郭より本丸まて暫時か, もせす、秀久みつから眞先に進み下知する故、森村吉をはしめ、引續いて我劣らしと攻, 攻かゝる、城中よりは鳥銃百挺はかりにて雨のふる如く放出しけれ共、味方是をことゝ, 〓こゝに於て、城主高松左馬助父子兄弟九人の首を秀吉の實檢に入, 忽ち落にけり、, 士傳記, 家譜、諸, トナル, 喜岡城主ハ, 攻メノ先鋒, 秀久喜岡城, 高松左馬助, 森村吉, 喜岡落城ス, 天正十三年七月十九日, 二八〇

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  • 士傳記
  • 家譜、諸

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  • トナル
  • 喜岡城主ハ
  • 攻メノ先鋒
  • 秀久喜岡城
  • 高松左馬助
  • 森村吉
  • 喜岡落城ス

  • 天正十三年七月十九日

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  • 二八〇

注記 (26)

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  • 1563,677,70,2245て、此城は我去々年攻殘せし城なれは、他の隊を交へす、手勢を以て攻取らんと、達て
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  • 1812,672,66,2251をさし添、城主高松左馬助、手勢合せて二百餘兵にて楯籠る、軍監蜂須賀家政・黒田孝
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