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國分寺表にをひて味方利をうしなひ敗北す、此時昌吉河中より馬をかへし進みたゝかひ、, 列し、上田の城に至る、眞田兵を城外に出し、寄手の虚實を伺、數度これとたゝかひ、, 〳〵戰を挑み、國分寺表にをいて味方利を失ひ敗北し、加賀川まて退くといへとも、昌, 吉川中より馬を返し、進みたゝかひて、敵を追しりそけ、首級を得たり、, 敵首を得、旗幟をたて、しは〳〵これを討しりそくる、敵兵拒ところをわすれ敢すゝま, す、, の外甲州先方の士をして、信州に入しめ、眞田か上田の城をせむ、昌吉甲州先方の士に, 十三年、昌幸かこもれる信濃國上田城を攻るのとき、昌吉先鋒に列し、城外にしてしは, 山田元重六右衞門尉, 〔寛永諸家系圖傳〕, 同十三年、眞田を征伐したまふ時、先方の士岩尾の城をせめ落し、諏訪の城に歸る、, 同十三年の秋、信州眞田大權現にそむくとき、大久保・鳥居・柴田・平岩・岡部等、そ, 〔寛永諸家系圖傳〕, 〔寛政重修諸家譜〕, 三枝昌吉, 〔寛政重修諸家譜〕千〓四三枝昌吉〓が平右衞門, 政重修諸家譜五百九十, 山田元重譜異事ナシ, 百六, 十三, 十八, 三枝昌吉, 千百四, 土佐守, 源八郎平右衞門, 十, 百七, さへぐさ, 擧グ, 國分寺表ノ, 岩尾城ヲ陷, 昌吉功名ヲ, 山田元重, 戰, 三枝昌吉, ス, 天正十三年閏八月二日, 六二
割注
- 政重修諸家譜五百九十
- 山田元重譜異事ナシ
- 百六
- 十三
- 十八
- 三枝昌吉
- 千百四
- 土佐守
- 源八郎平右衞門
- 十
- 百七
- さへぐさ
頭注
- 擧グ
- 國分寺表ノ
- 岩尾城ヲ陷
- 昌吉功名ヲ
- 山田元重
- 戰
- 三枝昌吉
- ス
柱
- 天正十三年閏八月二日
ノンブル
- 六二
注記 (38)
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