『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.768

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りみんやと、こゝにをいて悉これを殺す、故に東照宮、道阿彌に御諚あり, けるは、汝とく彼を斬て、氏族をよひ甲賀の士の怨を報すへしとなり、道, 宮、道阿彌か正家を降し、諸城を抜の功、衆にすくれたりと御感あり、また, 阿彌恩命を拜してこれを斬、のち伏見城にをいて討死せし甲賀の士の, これを害せんといふ、諸士みないふ、義のために命を捨、何そ妻子をかへ, る、今の甲賀組これなり、十月、小野木縫殿助公卿か籠れる、丹波國福智山, 長束か弟玄春を、〓にしてたてまつる、これよりさき、逆徒伏見城を攻る, の城をせめしめらるゝにをよひ、道阿彌命をうけて、其地に至り、淨土寺, 攻て、長束正家をして降らしめ、終に大津に至りて〓したてまつる、東照, 子孫、騎兵十人、歩卒百人をめして、道阿彌にあつけられ、近江國のうちに, をいて、九千石の地を賜はり、其うち四千石をもつて、士卒の給分に充ら, の時、玄春甲賀の士の妻子を捕へて、軍門にをき、降らすんはこと〳〵く, 東照宮これを賞せられ、肩衝の茶入, を賜ひ、又伏見城の新, にをいて、公卿をして自殺せしめ、又國中の餘黨を誅して、擾亂をしつむ, 宮門, 慶長八年十二月二十日, (郷カ〕, 後、これを道阿, 彌肩衝といふ, 道阿彌、これを京師知恩院に寄附す、今、黒門と稱するものこれなり、, 或はいふ、又伏見城内の山寺にある所の、二王門、三重塔、多寶塔をた, 道阿彌肩, 甲賀組, 衝, 七六八

割注

  • 後、これを道阿
  • 彌肩衝といふ
  • 道阿彌、これを京師知恩院に寄附す、今、黒門と稱するものこれなり、
  • 或はいふ、又伏見城内の山寺にある所の、二王門、三重塔、多寶塔をた

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  • 道阿彌肩
  • 甲賀組

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  • 七六八

注記 (26)

  • 1202,753,68,2142りみんやと、こゝにをいて悉これを殺す、故に東照宮、道阿彌に御諚あり
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