『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.965

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七月十五日家康御判, 下さま、, 米倉主計助殿, 折井次日, るら、甲州へおもむき、計策をめぐらす〓きの命をかうふり、甲州に發向し、, 直甲州へ進發す、このとき大權現先かけの兵をつかはをし、時に次員を甲, 武川の兵ども御籏下に屬し、御進發已前、御先手へ人數を指こす、氏直が士, 於其郡、別而被走廻之由、祝著候、各有相談、彌可被抽忠信候、恐々謹言、, 卒小沼にたてごもりしを追散し、戰功をぬきんづるゆへ、御直判の御書を, 桐山におもむく、時に御扶持かたをたまふ、同年六月、信長薨去の後、北條氏, とた、北條氏直甲州ををさふにより、大權現、忠繼を桐山よりめされて仰け, 尉奏者にて、大權現を拜したてまつり、鈞命によりく、妻子をたつさへ、遠州, 進發して、勝頼自〓以後、東照大權現、甲州市川に御坐のとた、成瀬吉右衞門, 天正十年、織田信長甲州に, 折井市左衞門殿, 〔寛永諸家系圖傳〕, 市左衞門, ○下略、寛政重修諸家譜米倉忠繼, のとを、次昌と共に、武川の者を進退すへを旨、仰をろう, 尉、淡路守、, 譜、コノ次ニ、二十四日、樫山御著陣, ふるトアリ、譜牒餘録後編米倉助右衞門書上異事ナシ, 四十, 三, 譜、コ, 折井次員, 天正十年七月七日, 九六五

割注

  • 市左衞門
  • ○下略、寛政重修諸家譜米倉忠繼
  • のとを、次昌と共に、武川の者を進退すへを旨、仰をろう
  • 尉、淡路守、
  • 譜、コノ次ニ、二十四日、樫山御著陣
  • ふるトアリ、譜牒餘録後編米倉助右衞門書上異事ナシ
  • 四十
  • 譜、コ

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  • 折井次員

  • 天正十年七月七日

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  • 九六五

注記 (28)

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