『大日本史料』 12編 35 元和六年是歳~元和六年雑載 p.323

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御旗下にかへる、, し、後卷のおそれあらん事をおほしめしはかり、とりて六ケ所をかまへ給ふ、大權現、一, しかも甲州勢をよくしるにより、常に御旗下にあり、同八年、大權現高天神の城を巡〓, 齋をよひて、直に返答し給ふ、其後合戰はしまる時、一齋高名を得たり、同年より翌年に, 天正三年、長篠合戰の時、一齋よく甲州の士の旗の紋、指物をしるによりて、御旗下に居, す、これをとはせたまふに、こたへ奉る處一もたかふ事なし、大權現、一齋をもつて御使, いたるの間、大權現數度遠州に御進發ありて金谷に入、二俣をせめ、諏訪原の城をとり, 給ふ、其外光明、犬井、小山等、大權現のむかはせたまふ處に、一齋供奉せすといふ事なし、, として信長につかはされ、合戰をはしむへきやいなやのむねをとはしめ給ふ、信長、一, ぬ、六騎の兵是を見、むまよりおりて、落ものを介錯す、その間に御馬をはせて、濱松の城, にいれたてまつる、此時兄正義討死するによりて、一齋をして其家督をつかしめ給ふ、, 權現にむかふ、此時一齋はせよりて、すゝむ敵一人を斬おとす、馬もまた疵をかうふり, てかへらしむ、これより一里の間、武田か兵と相ましはる、しかれとも諸士事ゆへなく, 十二月、三方原合戰に、味方利をうしなふて引しりそく、こゝにをひて武田か兵七騎、大, 同年, にをいて、忠勝等、武田か先鋒と見附の臺に逢て相戰ふ、正一御使をうけたすハり、兵を引てかへらしめむ, 成大軍に逢て困むこともあらむと、また本多忠勝等壯士數人をしてこれを援しめらる、こノ, ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、これにより、内藤信成をして斥候せしめらるゝの處、信, とす、これより凡一里の間、武田か勢しは〳〵追來るといへとも、正一等苦戰して、つゐに軍を收むトアリ, 下ヲ離レ, 高天神ノ, 家康ノ摩, 急ヲ救フ, 砦ヲ警戒, 家康ノ危, ニ備フ, シ甲州勢, 三方原ニ, ズ, 元和六年雜載, 三二三

割注

  • にをいて、忠勝等、武田か先鋒と見附の臺に逢て相戰ふ、正一御使をうけたすハり、兵を引てかへらしめむ
  • 成大軍に逢て困むこともあらむと、また本多忠勝等壯士數人をしてこれを援しめらる、こノ
  • ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、これにより、内藤信成をして斥候せしめらるゝの處、信
  • とす、これより凡一里の間、武田か勢しは〳〵追來るといへとも、正一等苦戰して、つゐに軍を收むトアリ

頭注

  • 下ヲ離レ
  • 高天神ノ
  • 家康ノ摩
  • 急ヲ救フ
  • 砦ヲ警戒
  • 家康ノ危
  • ニ備フ
  • シ甲州勢
  • 三方原ニ

  • 元和六年雜載

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  • 三二三

注記 (31)

  • 1794,668,57,420御旗下にかへる、
  • 287,687,63,2111し、後卷のおそれあらん事をおほしめしはかり、とりて六ケ所をかまへ給ふ、大權現、一
  • 403,687,62,2131しかも甲州勢をよくしるにより、常に御旗下にあり、同八年、大權現高天神の城を巡〓
  • 746,682,63,2128齋をよひて、直に返答し給ふ、其後合戰はしまる時、一齋高名を得たり、同年より翌年に
  • 1098,675,61,2137天正三年、長篠合戰の時、一齋よく甲州の士の旗の紋、指物をしるによりて、御旗下に居
  • 987,676,59,2137す、これをとはせたまふに、こたへ奉る處一もたかふ事なし、大權現、一齋をもつて御使
  • 633,691,61,2121いたるの間、大權現數度遠州に御進發ありて金谷に入、二俣をせめ、諏訪原の城をとり
  • 516,682,65,2136給ふ、其外光明、犬井、小山等、大權現のむかはせたまふ處に、一齋供奉せすといふ事なし、
  • 863,680,61,2115として信長につかはされ、合戰をはしむへきやいなやのむねをとはしめ給ふ、信長、一
  • 1330,677,60,2133ぬ、六騎の兵是を見、むまよりおりて、落ものを介錯す、その間に御馬をはせて、濱松の城
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