『大日本史料』 12編 35 元和六年是歳~元和六年雑載 p.324

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齋をめしてのたまひけるは、汝此地にとゝまりて、晝夜城外をめくるへし、これとりて, 齋好を通するにより、彼か出亡をあはれみ、行てこれをとふに、隣里人なきによりて、彼, 門に書していはく、市川にきたり、一齋をたつぬへしとなり、其夜武河六十騎の組頭米, ふべしとのたまふ、一齋こゝにをひて、日下部然べしとこたへたてまつる、此ゆへに、一, なし、同十年、武田敗亡のとき、大權現市川におはします、これよりさきに、武河の士と一, ひて、一人そへらるへきよしを言上す、大權現きこしめして、しからは汝その人をえら, のもの二人生捕て、陣中に磔にす、大權現、北條と和睦有て、互に兵を引て、國に歸たまふ、, て甲州に入、若御子に陣をとり、新府に對陣する事數十日、その間に一齋、北條かしのひ, 人武河にかへり、盡武河の士の人質をたてまつる、同年七月、大權現兵を發し、甲州に入, に有者の怠慢をいましめんかため也とのたまふ、一齋謹て尊命をうけたまわり、しりそ, 給ひ、新府におはします、北條氏直もまた甲斐、信濃をしたかへんため、四萬騎の兵を卒, 齋、日下部兩人に命して、城外をめくらしめたまふ事、百二十日の間、一日もをこたる事, 倉主計助、折井市左衞門きたる、すなわち大權現に達し、まみへたてまつらしむ、其夜兩, 其後根來足輕百人を一齋に預られ、平岩主計頭親吉と共に、甲州の制法をさため、九年, 在住して、國中靜謐す, ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、その夜武川六十騎の組頭米倉主計助忠繼、折井市, 左衞門次昌市川に來る、正一すなはちこれを執して、まみえたてまつらしむるのとこ, 元和六年雜載, 三二四

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  • ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、その夜武川六十騎の組頭米倉主計助忠繼、折井市
  • 左衞門次昌市川に來る、正一すなはちこれを執して、まみえたてまつらしむるのとこ

  • 元和六年雜載

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  • 三二四

注記 (19)

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