『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.518

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茲ニ掲グ、, 無事を御計ひ可然との事故、御歸國被成候、, 能勤らなゝは稀なり、行〳〵興なへき人なりと、媚をなす輩尤多かりし, 傍人曰、將軍取立之大臣多く有と云とも、秀吉卿のやうに、亡君之重恩を, なり、, り被仰候は、速と丹後に御歸り有て、領國き勿論、丹波、但馬、因幡、伯耆等の, 也、其前表何となう此人き可知天下人也と諷しあへりぬ、是自然之通兆, ○信雄、安土ニ入ルコト日時未ダ詳ナラズ、多聞院日記ニ據リテ、姑ク, 心を相添、又頓て此表可令出勢と約し、正月中旬、寶寺へ歸城し給ふ、, 秀吉卿安土に五日滯留し給ふて、柳瀬表をかろ〳〵と見廻、取出之城々ヘ, 一天正十一年癸未正月八日、幽齋君、忠興君安土に赴, 〔細川家記, て、三法師殿、及ひ秀吉公こ〓をらる、同十二日、秀吉公江北巡見あるこよ, 候、, 一正月八日、安土ニ至り、三法師殿并秀吉こ〓をらも, 〔細川家記〕, 〔參考, 天正十一年〓正月四日, 藤孝三, 忠興一, 三, 七, 下ヲ知ル, 正月八日, 秀吉ハ天, 藤孝忠興, ベキ人, ノ説, ニ歸ルト, 中旬山崎, ルトノ説, 安土ニ至, 五一八

割注

  • 藤孝三
  • 忠興一

頭注

  • 下ヲ知ル
  • 正月八日
  • 秀吉ハ天
  • 藤孝忠興
  • ベキ人
  • ノ説
  • ニ歸ルト
  • 中旬山崎
  • ルトノ説
  • 安土ニ至

ノンブル

  • 五一八

注記 (33)

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