『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.166

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

方よりかゝりれなは、御方そこ〓んと仰らまけれは、近習の衆、敵人數を立か, 猿か馬場へ伺公しけれは、秀吉石見に對面なされ、伊賀守か病氣いかゝと, 者、軍法をしらすして、崩れかゝつたる勢にて、敵を頭の上に見あけ、己か勢, さん物をと、軍半に御落〓をそなされける、御近習の面々し、徳永〓想なる, 御尋なされけれは、石見何の遠慮もなく、今月十六日に相果申候と答、秀吉, を立むとす、何とひしめきたる共、長良が術にても人數立へき所にてなし、, ゝりつき崩しなは、あやまちすへきそ、兵粮にてもつかひ休息すへし、我等, 〳〵左樣にあらす、汝等を持候て社秀吉をひてよしといわせ候へ、今相か, ためなは、御むつかしく御座候はん間、惣懸りに追立へきと申けれは、いや, 大に驚、さて〳〵果報つたなた者哉、只今に北國を取せ置、天下の大名にな, さし圖の時節に〓かゝりなは、高名は汝等望次第なるへし、玄番といふ若, 先我等か馬しるしを敵の後へまわす〓しと被仰付、御茶を召てそいたま, ひける、其時長濱伊賀守は、病氣たるにより、秀吉の下知として、京都へ養生, に越しけるか、留守に徳永石見を差置けるに、陣見廻に秀吉の御座有ける, 事を申者かなとて、皆人是を笑ひけるとを、かくて玄番人數いとゝくつれ, 徳永壽目, 秀吉ヲ候, 猿馬場ニ, 天正十一年四月二十一日, 一六六

頭注

  • 徳永壽目
  • 秀吉ヲ候
  • 猿馬場ニ

  • 天正十一年四月二十一日

ノンブル

  • 一六六

注記 (20)

  • 1798,624,63,2210方よりかゝりれなは、御方そこ〓んと仰らまけれは、近習の衆、敵人數を立か
  • 626,619,65,2214猿か馬場へ伺公しけれは、秀吉石見に對面なされ、伊賀守か病氣いかゝと
  • 1212,624,63,2213者、軍法をしらすして、崩れかゝつたる勢にて、敵を頭の上に見あけ、己か勢
  • 277,629,62,2201さん物をと、軍半に御落〓をそなされける、御近習の面々し、徳永〓想なる
  • 509,623,66,2216御尋なされけれは、石見何の遠慮もなく、今月十六日に相果申候と答、秀吉
  • 1096,627,63,2233を立むとす、何とひしめきたる共、長良が術にても人數立へき所にてなし、
  • 1446,633,62,2205ゝりつき崩しなは、あやまちすへきそ、兵粮にてもつかひ休息すへし、我等
  • 1562,627,64,2206〳〵左樣にあらす、汝等を持候て社秀吉をひてよしといわせ候へ、今相か
  • 1684,629,61,2205ためなは、御むつかしく御座候はん間、惣懸りに追立へきと申けれは、いや
  • 393,625,64,2210大に驚、さて〳〵果報つたなた者哉、只今に北國を取せ置、天下の大名にな
  • 1328,628,65,2211さし圖の時節に〓かゝりなは、高名は汝等望次第なるへし、玄番といふ若
  • 977,625,66,2212先我等か馬しるしを敵の後へまわす〓しと被仰付、御茶を召てそいたま
  • 859,624,66,2212ひける、其時長濱伊賀守は、病氣たるにより、秀吉の下知として、京都へ養生
  • 743,629,64,2201に越しけるか、留守に徳永石見を差置けるに、陣見廻に秀吉の御座有ける
  • 160,624,64,2210事を申者かなとて、皆人是を笑ひけるとを、かくて玄番人數いとゝくつれ
  • 818,264,40,174徳永壽目
  • 728,266,42,170秀吉ヲ候
  • 772,266,40,163猿馬場ニ
  • 1918,715,47,470天正十一年四月二十一日
  • 1917,2457,42,109一六六

類似アイテム