『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.176

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に驚、山路は早々立退、柴田方へ走こむ、其時山路か忠節に、中川瀬兵衞か, 夜中ニ舟にてのけ申處に、折節番船のいかりつなにさはり候故、番船よ, 切參候を見て、程近ニ成候時分敵は引取、此時中川瀬兵衞討死也、太閤の, りとかめ候へは、山路か妻子のよし申ニ付、本丸の木村常陸所へ注進を, 先勢少々おし付る、お次殿の内渡邊勘兵衞、石子兵助は敵の跡をしたひ、, へは、扨者別心無疑とて、山路を可撃内談仕、其ニ付何となく城中も騷き, 致、山路も妻子を被留候由聞内に乃企顯たると存、野村庄次郎と云者ニ, 者、城を可攻落と申こ付、さらは夜中に可取懸とて、佐久間玄蕃を大將に, 大垣へ注進有こ付、太閤早々馬を被出、夜中ニたいまつを燃つれ、引も不, 籠り候向城は、敵間の遠を恃み、城の普請そさうに候間、是へおしよせ候, 申付、妻子を急柴田方へ遣候へと申付き、野村途にて心替を致し、本丸の, 山手を左に見て、よごの海の汀を行處に、石子申は、柴田本陣は山の上な, 木村常陸方へ參、直に申度事有候由にて、常陸に右之樣子有樣に申聞候, して、手前の向城をはさし置、程遠き瀬兵衞が城へおしよせ、防戰す、此由, れば、よき働可成間、是より山へ上り可然と申、右之道筋殊外成足入にて、, 天正十一年四月二十一日, 勝家ノ陣, 事露レテ, テ長濱ヲ, 渡邊了, ニ走ル, 逃レ出デ, 妻子ヲシ, 石河兵助, シム, 一七六

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  • 勝家ノ陣
  • 事露レテ
  • テ長濱ヲ
  • 渡邊了
  • ニ走ル
  • 逃レ出デ
  • 妻子ヲシ
  • 石河兵助
  • シム

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  • 一七六

注記 (26)

  • 1094,688,64,2129に驚、山路は早々立退、柴田方へ走こむ、其時山路か忠節に、中川瀬兵衞か
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