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にくとあり、羽柴殿は夜の明るを待か〓、木の本をまた闇きに出立、志津, なり、玄蕃允これをきゝ、廣場にいでゝたゝかふべしと、夜半に兵を引て、本, 北國勢騷きたちけり、然るに月の出しかは、羽柴殿の勢北國勢にひしと, 殿志津か嶽の麓に著し給ひ、丹羽長秀等も志津か嶽の加勢に入しかは、, ゝ、いそき馳て夜に入、木本の城につく、長秀と相約し、明日戰を決すべしと, 々の語あり、廿一日の酣戰の頃をいふなるへし、年譜略には、十九日の事, り、公の戰給ひしは、廿日の夜の事ならんか、高名記には、旌旗日に輝き云, 同十一年三月、, か嶽の城の南に幟を立させらる、これによりて、北國勢大に敗る由いへ, 路にいでんとす、こ乃とき長秀が先陣、暗夜に相あふて前を遮、後を衝はら, 要害をせめるぶらしむ、中川こゝにをひて死す、ときに長秀兵船を飛し、余, 吾浦につきて、三十餘騎湖水の汀に陣をとる、秀吉大垣にありてこれをき, とす、非なり、, 柴田三万餘騎を率して中河内にいて、佐久間玄蕃允をして、中川瀬兵衞が, といふはいかゝあらん、公の戰給ふ日、太閤記によるに、四月廿日夜、羽柴, 〔寛永諸家系圖傳〕百十丹羽長秀, 天正十一年四月二十一日, ○本書、コノ次ニ、賤嶽, 五郎左衞門尉、少名萬, 戰場略圖ヲ收ム、略ス, 千代、兒玉の人なり, 長秀余吾, 陣ヲ取ル, 夜中ヨリ, 湖ノ汀ニ, 盛政ノ跡, ニ盛政ノ, 惟住長秀, 長秀暗夜, 秀吉ノ兵, 退路ヲ遮, ヲ追尾ス, 天正十一年四月二十一日, 二〇一
割注
- ○本書、コノ次ニ、賤嶽
- 五郎左衞門尉、少名萬
- 戰場略圖ヲ收ム、略ス
- 千代、兒玉の人なり
頭注
- 長秀余吾
- 陣ヲ取ル
- 夜中ヨリ
- 湖ノ汀ニ
- 盛政ノ跡
- ニ盛政ノ
- 惟住長秀
- 長秀暗夜
- 秀吉ノ兵
- 退路ヲ遮
- ヲ追尾ス
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- 天正十一年四月二十一日
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- 二〇一
注記 (34)
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