『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.6

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にあらずとて、母を人質に殘し、主從廿騎にて笠置トより伊賀の國に打入、ひそかに國の, 身にして瀧川父子をせめ捕がたし、所詮瀧川と一味して謀叛のこゝろさしあるものなり, りのまゝに申けれは、秀吉大にいかりたまふ、安治欝憤のまゝ伊賀にをもむき、瀧川父, て上野の城をかこみ、その夜にせめおとし、その城をとる、瀧川父子は伊勢の國に逐電, とのたまふとき、安治なみたをながし、主君の厚恩をわすれ、叛逆の瀧川にくみすへき, にゆくときゝ給ひて、安治に瀧川か人質を尋給ふ、安治人質をとられたるありさま、あ, 兵にふれて、秀吉御使にて瀧川父子を打とるなり、味方を仕り、軍忠あるともがらは、, 子がこもりゐたる上野の城を攻て、討死すへしといふとき、秀吉彌いきどほりて、汝小, 本領安堵させ、城中の人質をもかへすべしといひて、國侍を一味せさせ、夜中にしのび, す、此むね秀吉へ注進しければ、秀吉歡喜したまひ、はじめに山岡美作守を御使にて其, はせて國の樣子度々注進しければ、秀吉回書をたまふ、, るすとき、瀧川父子ともに伊賀の國にのかれ行、上野の城に楯こもる、秀吉瀧川か伊賀, 戰功を勞し、後に増田右衞門尉長盛を使として、國の事堅固にすべしとなり、安治書を, の暇をこふ、安治はかりことなりとしらずして、親子のうれへを憐、わたくしに暇をゆ, ○中略、十月廿八日附並ニ十一月三日附脇, 坂甚内宛秀吉書状ニカヽル、前掲脇坂文書, 上野城ヲ攻, 籠城ス, 國侍ヲ一味, セシメ安治, 雄利父子伊, 雄利上野ニ, 勢ニ逃亡ス, 陷ス, 天正十一年十月二十八日, 六

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  • ○中略、十月廿八日附並ニ十一月三日附脇
  • 坂甚内宛秀吉書状ニカヽル、前掲脇坂文書

頭注

  • 上野城ヲ攻
  • 籠城ス
  • 國侍ヲ一味
  • セシメ安治
  • 雄利父子伊
  • 雄利上野ニ
  • 勢ニ逃亡ス
  • 陷ス

  • 天正十一年十月二十八日

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注記 (26)

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