『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.429

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廣場にいでゝたゝかふべしと、夜半に兵を引て本路にいでんとす、このとき長秀が先, が要害をせめやぶらしむ、中川こゝにをひて死す、ときに長秀兵船を飛し、余吾浦に, 夜に入木本の城につく、長秀と相約し、明日戰を決すべしとなり、玄蕃允これをきゝ、, 屬す、秀吉と柴田と雄をあらそひ、をの〳〵自國をまもる、此冬、秀吉江北に發向し、, す、柴田・池田もおなじく行、相議ていはく、孫君幼稚のあひだは、家臣四人こゝろ, 輩にたまはるべしとて、柴田勝家、秀吉をして記録をつくらしむ、このとき長秀に若, ぶ、こゝにをひて交盟いよノ〵かたし、秀吉と同清須にをもむき、信忠の嫡子に〓見, つきて、三十餘騎湖水の汀に陣をとる、秀吉大垣にありてこれをきゝ、いそき馳て、, をひとつにし、こゝろざしをあはせて、政務をきくべし、先闕國を割て、舊勞勲功の, 數ケ所の要害をかまへ、舍弟美濃守秀長を總大將として、越前の出入を遮とゝむ、長, 狹一國、江州志賀・高嶋の二郡をたまはり、大溝に居す、江北の兵こと〳〵くこれに, 同月十三日、山崎合戰についに明智を誅す、はしめより長秀と秀吉とましはりをむす, 秀又海津口をふさき、息長重を大將として、海陸にあひまじはる、, 同十一年三月、柴田三萬餘騎を率して中河内にいて、佐久間玄蕃允をして中川瀬兵衞, 州志賀高嶋, 若狹一國江, 二郡ノ領主, 賤岳ノ戰, トナル, 天正十三年四月十六日, 四二九

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  • 州志賀高嶋
  • 若狹一國江
  • 二郡ノ領主
  • 賤岳ノ戰
  • トナル

  • 天正十三年四月十六日

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  • 四二九

注記 (21)

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