『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.635

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メテ利アラズ、忠堅ハ傷ヲ蒙リ、忠堯ハ戰死ス、, にふか入し給ひて、ゑかてせん死をとけさせ給ふ、ふんにもふにもふそく, けなと初、む〓との人々〓たし給ふ、はやあんとのも御年比はとて、有まと, のへさし出ける、されともふかへ、しまはらなとゝ申は、いまたひせんかた, に、六月十三日、新納刑部大ゆうとのふかへの城へかけさせ給ふに、あまり, 天正十二年なつの比より、ありまとの番衆申うけ, 島津義久ノ將新納忠堯、川上忠堅等、龍造寺隆信ノ屬城肥前深江城ヲ攻, 給ふ程に、大口の御地頭むさしのかみのちやくし刑部大ゆう、河上左京す, にてこたゑけり、そのまゝさつまはん衆は、あんとくへ御はんめされける, なきあたら人をと、上下はんみんおしなへてをしみ申さん人そなし、〓, 一廿七日、此日前日大口へ新納武州え、子息刑部大夫殿於有馬慮外ニ戰死, 〔古今戰〕, 之由、聞得候之通、笑止之儀、寺田壹岐守を以申候、彼仁被歸候、一定之由候, 也, 船大工四拾人中, 〔上井覺兼日帳〕〓, 六月, 十六所收, ○舊典類聚, ○下, 下略, 略, ○上, ○日向, 新納忠元, 忠堯ノ父, 未ダ義久, 深江島原, 上井覺兼, ニ降ラズ, ノ戰死ヲ, ヲ慰問ス, 惜ム, 衆庶忠堯, 天正十一年六月十三日, 六三五

割注

  • 十六所收
  • ○舊典類聚
  • ○下
  • 下略
  • ○上
  • ○日向

頭注

  • 新納忠元
  • 忠堯ノ父
  • 未ダ義久
  • 深江島原
  • 上井覺兼
  • ニ降ラズ
  • ノ戰死ヲ
  • ヲ慰問ス
  • 惜ム
  • 衆庶忠堯

  • 天正十一年六月十三日

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  • 六三五

注記 (36)

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