『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.523

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へ、家康、信雄の御勢を取入給ふと落武者も云けり、けに左も有と見えけま, て向はんと、龍泉寺の坂を下りくたり見やれは、はや合戰事過て、小幡の郷, 木村小隼人佑、堀尾茂助、一柳市介なと著陣し、足をもためす、長久手原〓し, て有しかとも、勝入、同嫡子紀伊守、森打死せしに依〓、〓敗軍に及ひけまは、, すか其道に得たるしるしにや有けん、頓而追捨引入にけり、, は北なを追行共、丹後守には取合す、依之勢を立初たる所を立も去す、後ま, 秀吉卿急貝を立よ、取出〳〵に有之勢は、能其城を堅固に守り候へ、其外は, 丹後守も退にけり、兩卿の先陣後陣ひとつに成て追行、平討にうち行候を、, 天正十二年卯月九日午刻、池田父子、森武藏守討死之由、到于樂田注進あり、, 悉く打立候へと觸廻し、鞭汗馬急給ふ、一番貝に先勢はや出しかは、御馬驗, 御出馬あり、道すから落武者引もきらす通りつるに、推分〳〵至于龍泉寺、, のふくへを庭前におし立給へれ、二番三番より十六番まて出し給ふて、即, 母衣之者使番之士を以、長追はしすな、もはや引返し候へと制し給へは、ら, 鐵壁も物かはに、足踏實地戰へとも、左右之勢は、其をも見すて退しかは、敵, 秀吉卿依池田父子討死御出馬之事, 木村小隼, 堀尾可晴, 人佑, 与ニ出ヅ, 午刻勝入, 本陣ニ達, 〓秀吉ノ, 等戰死ノ, 幡ニ入ル, 柳末安, 秀吉龍泉, 家次等小, 天正十二年四月九日, 五二一

頭注

  • 木村小隼
  • 堀尾可晴
  • 人佑
  • 与ニ出ヅ
  • 午刻勝入
  • 本陣ニ達
  • 〓秀吉ノ
  • 等戰死ノ
  • 幡ニ入ル
  • 柳末安
  • 秀吉龍泉
  • 家次等小

  • 天正十二年四月九日

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  • 五二一

注記 (29)

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