『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.536

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に可懸候由被仰候、, 一三月九日四ッ時分、くぬき林迄有御押、, 御人數五千計可有之のよし、同日に長久手へ御座す、夜深きとて勝川と, 申由御觸也、, 守をめして、岩崎表の敵に早く附可申候由、頓而御座候旨被仰のよし、本, 金の棒指たる御敵打取申候を、皆々見申候、其時丹羽六大夫を召て、敵は, 申所の少たいらなる所に皆々おり立御座候由、小幡城主本多豐後守所, 人々敗軍之間、追討ニ可被成候、我等も高名仕候首をは捨候と申され候、, 多豐後守は小幡に被爲置候之由、御旗本之先手井伊兵部少輔、御旗本の, 一三月八日の暮に、榊原式部大夫、大須賀五郎左衞門、水野和泉守、本多豐後, 一彼所へ本多作左衞門、榊原式部少輔手より被參、敵陳三好孫七郎殿其外, ト小牧表御陣廻被成候節、公仰に、今度拙者子飼の者ともに鑓爲致御目, にて、一度狼烟に差物を張、二度目の狼烟に得道具可持、三度目ニ打立可, 〔山中氏覺書〕一天正十二年申、尾州小牧御陣、三月上旬に權現樣ト常眞公, 定而篠木、棺井へ退可申候、是ゟ彼所へ直路はなきか、先を取切被成度フ, テ小幡ヲ, 勝川ニ屯, 守ラシム, 家康ノ兵, 廣孝ヲシ, ニ至ル, 等秀次ノ, 本多重次, 榊原康政, 家康櫟林, 家康本多, 敗軍ヲ家, 康ニ報ズ, 天正十二年四月九日, 五三六

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  • テ小幡ヲ
  • 勝川ニ屯
  • 守ラシム
  • 家康ノ兵
  • 廣孝ヲシ
  • ニ至ル
  • 等秀次ノ
  • 本多重次
  • 榊原康政
  • 家康櫟林
  • 家康本多
  • 敗軍ヲ家
  • 康ニ報ズ

  • 天正十二年四月九日

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  • 五三六

注記 (30)

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