『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.1043

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角も候へ、某掛り可申とて旗を西向に押直し候へは、縫殿頭、豐後前に乘ふ, 候の備なり、角南を出、高安の里四条繩手まて押出し、西を見候へは、大坂方, 候、道明寺え懸り候敵を、此方より横取致し仕損し候時は、骸の上の耻辱に, 仰付候身にて、役儀を捨敵江懸候事如何と押え申候、豐後聞て餘人は兎も, 一万余道明寺の方え向て、大坂より人數を繰出し候、是は木村長門勢なり、, て候、天下ニて以來批判致候者候はゝ、我等男を止可申候、無勿躰次第に候, 之候、此口の〓使本多縫殿正進出て、御譜代の豐州手柄立は勿躰なし、其子, と、達て止申に付、長門勢えは掛り不申候、明ル七日、此諸將岡山口にていつ, 江懸り可申候、今日の軍功此所に見えて候と勇み候、諸大將兎角の挨拶無, さかり、唯今掛り利を得候へは、一段能事に候へとも、多勢え小勢にて懸り, れも手に合、家中不殘高名致候時、いつれも昨日無詮合戰致し候はゝ、落着, 本多豐後備頭に候故、皆々え申渡候は、南え押候人數西頭に色直し、あの敵, 細は我々は手柄を爲致とて御先え立候にては無之候、御旗本の警固を被, 打負候はゝ、御旗本の前備手明に罷成、其上懸り來候敵にて候はゝ、無僉義, 東方本多豐後守、宮木丹後、石川伊豆、蒔田權之佐、遠藤但馬は御旗本警固斥, 成ト戰ハ, 東軍旗本, 警固隊重, ントス, 之ヲ止ム, 本多康俊, 元和元年五月六日, 一〇四三

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  • 成ト戰ハ
  • 東軍旗本
  • 警固隊重
  • ントス
  • 之ヲ止ム
  • 本多康俊

  • 元和元年五月六日

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  • 一〇四三

注記 (23)

  • 974,643,63,2226角も候へ、某掛り可申とて旗を西向に押直し候へは、縫殿頭、豐後前に乘ふ
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