『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.810

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謀叛か裏切するかと思ふ程遲く掛りたると也, く火出ると、神君七日の朝、片桐市正方ゟ注進也、岡山の城早し、茶臼山早し, 時本多大隅、折敷ケ〳〵と下知して、我手の鉄炮をひし〳〵と打かくるに, より、敵しらけぬ、大隅なくては旗本大崩たるへしと也、佐々孫助手より早, を打初め候と均しく、越前の備ゟ七八百挺の〓炮を一しきり敵共え打掛, る事三度、合戰始めは横を入べきとあれとも、七組同心なし、是非なくて眞, 崩れ、旗本も崩る、裏崩と此亂と、兩度旗本亂る、掃部功者故、其儘丸く堅る、此, 其跡より一の手二の手の差別もなく、貳万に及ふ軍勢一同に押懸きれは, といへ共、岡山早し、是相圖にて大坂合戰は始むと也、眞田ゟ七組へ使を立, 田〓て大助を跡に殘し、横鑓を入させ候と也、加賀野に殊之外遲く合戰始, 如此と也、大坂か兩手急に〓れて〓出る時、出雲守討死、掃部手だ一たては, 眞田か一手の者共、相懸りに打て出候、時に忠直の舍弟伊豫守忠昌、自身十, 田〓, 〔落穗集〕, 興羸越前, 敵味方相備て互に睨み合居申候處に、本多出雲守手ゟ、鉄炮, 五, 十, 井伊隊敗, 旗本崩ル, ルコト二, 本多忠純, 度, ノ偉功, 松平忠昌, ノ奮戰, 元和元年五月七日, 八一〇

割注

頭注

  • 井伊隊敗
  • 旗本崩ル
  • ルコト二
  • 本多忠純
  • ノ偉功
  • 松平忠昌
  • ノ奮戰

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 八一〇

注記 (28)

  • 612,656,56,1433謀叛か裏切するかと思ふ程遲く掛りたると也
  • 1078,655,57,2217く火出ると、神君七日の朝、片桐市正方ゟ注進也、岡山の城早し、茶臼山早し
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