『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.579

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ろの首級を實〓し、猶軍をすゝめんとす、るのところ、秀次後陣にありて、, 英護國院と號に、室ぬ荒尾美作守善次か女、, にすゝんて、井伊直政か兵と接戰す、とたに父兄討死乃よし告あるによ, 號す、, たく、氏重をはしめ城兵三百餘人悉く討死し、城ゐに陷る、勝入獲とこ, 榊原康政、大須賀康高等に襲ひうたれ敗走せしかは、長一、秀政等ととも, と、其陣はるかに〓たゝり、多勢またしきりに追來るにより、殘兵をした, に軍をかへし、長久手にをい〓奮戰すといへとも、諸手利をうしなひ、長, か弟丹羽次郎三郎氏重よく下知して防戰す、しかれとも大敵しのきか, 一討死し、勝入も馬には〓ましかは、秀政か陣と一手にならむとせしか, かへて血戰し、つゐに永井傳八郎直勝かために討死す、年四十九、雄岳宗, 之助母は善次か女、, にをしよせ、急にかこんてこ〓をせめうつ、城中兵寡しといへとも、氏次, 日、長久手合戰のとき、父とおなしく討死す、年二十六、顯功永節正宗寺と, 十二年四月九, 輝政母し之助におなし、〓中十二年、父とおなしく長久手に出張し、先陣, 輝政母ぬ之助におなし, 天正十二年四月九日, ○中略、元助ノ履歴ニカヽル、前掲寛永, 諸家系圖傳池田之助傳ニ異事ナシ、, 略, 勝入ノ戰, 秀次敗走, 照政直政, ノ兵ト戰, 法號, 法號, 九助, 死, 天正十二年四月九日, 五七九

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  • ○中略、元助ノ履歴ニカヽル、前掲寛永
  • 諸家系圖傳池田之助傳ニ異事ナシ、

頭注

  • 勝入ノ戰
  • 秀次敗走
  • 照政直政
  • ノ兵ト戰
  • 法號
  • 九助

  • 天正十二年四月九日

ノンブル

  • 五七九

注記 (31)

  • 1582,704,64,2147ろの首級を實〓し、猶軍をすゝめんとす、るのところ、秀次後陣にありて、
  • 881,691,63,1295英護國院と號に、室ぬ荒尾美作守善次か女、
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